尾藤加勢士
日本の陸軍軍人
尾藤 加勢士(びとう かせし、1886年(明治19年)1月31日[1] - 1947年(昭和22年)10月11日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
尾藤 加勢士 | |
---|---|
生誕 |
1886年1月31日 日本 熊本県 |
死没 | 1947年10月11日(61歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1907年 - 1942年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
経歴
編集1886年(明治19年)に熊本県で生まれた[1]。陸軍士官学校第19期[1]、東京帝国大学冶金学科卒業[2]。1928年(昭和3年)に陸軍科学研究所所員となり[2]、1931年(昭和6年)に陸軍砲兵大佐に進級[2]。1934年(昭和9年)から陸軍技術本部米国駐在官となる[2]。
1936年(昭和11年)に陸軍少将に進級し[2]、陸軍科学研究所第1部長に就任する[1]。1937年(昭和12年)に陸軍造兵廠大阪工廠長を経て[1]、1939年(昭和14年)に陸軍中将に進級し[2]、陸軍科学研究所所長に就任[1]。1941年(昭和16年)6月に第8陸軍技術研究所長兼第6陸軍技術研究所長となり[1]、1942年(昭和17年)10月15日まで務めた[3]。
脚注
編集参考文献
編集- 秦郁彦 編『日本陸海軍総合事典 第2版』東京大学出版会、2005年。ISBN 4130301357。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。