尾上多見蔵 (初代)
江戸時代の歌舞伎役者
初代 尾上多見蔵(しょだい おのえ たみぞう、宝暦4年〈1754年〉- 没年不明)とは、江戸時代の歌舞伎役者。屋号は音羽屋、俳名は幸朝。
来歴
編集京の生れで、はじめ花染皆之丞の門人花染民蔵と名乗り、宝暦13年 (1763年) 京の子供芝居に出るが、一時役者を引退する。その後初代尾上菊五郎の門人となって尾上健蔵と改名。明和6年(1769年)江戸に下り、同年11月市村座で尾上民蔵と名乗る。若女形であった。安永8年(1779年)8月、尾上多見蔵と名乗るが翌年「民蔵」に戻り、仙台に行く。天明元年(1781年)上方に戻り再び「多見蔵」を名乗る。天明7年11月大坂の舞台に出て以降、消息不明となっている。
参考文献
編集- 野島寿三郎編 『歌舞伎人名事典』(新訂増補) 日外アソシエーツ、2002年