尼巌城(あまかざりじょう)は、長野県長野市松代町東条にあった日本の城尼飾城尼厳城雨飾城とも表記される。別名、東条城(ひがしじょうじょう)。

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尼巌城
長野県
別名 東条城、尼飾城、尼厳城、雨飾城
城郭構造 山城
築城主 東条氏
廃城年 1598年
指定文化財 なし
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概要

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標高780mの尼巌山に築かれた、松代周辺の土豪である東条氏の居城である。「一に春山(春山城)二に尼飾(尼飾城)三に鞍骨(鞍骨城)」と言われ近隣で堅固を誇ったと伝えられる。

弘治2年(1556年武田信玄真田幸隆に書状を送り、尼巌城を早く攻め落とすよう督励した。その後幸隆により東条氏は敗れて越後に逃亡した。

天正10年(1582年)上杉景勝が川中島地方の領主となると、東条信広が城主に復帰した。しかし、慶長3年(1598年)、東条氏は景勝の会津移封に同道し、尼巌城は廃城となった。

参考文献

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  • 信濃史学会編 『信州の山城 信濃史学会研究叢書3』 1993年

関連項目

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