尹白南

韓国の作家、俳優

尹 白南(いん はくなん、1888年11月7日 - 1954年9月29日)は、日本統治時代の朝鮮大韓民国俳優脚本家映画監督小説家ジャーナリスト演劇演出家。本名は尹 教重本貫坡平尹氏[2]

尹白南
各種表記
ハングル 윤백남
漢字 尹白南[1]
発音: ユン・ベンナム
日本語読み: いん はくなん
英語表記: Yun Baek-nam[1]
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生涯

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李氏朝鮮忠清南道公州府出身。大韓帝国国費留学生として早稲田大学に入学したのち、東京高等商業学校(現一橋大学)に移り、同校を卒業した。日韓併合毎日新報記者となり、のち俳優映画製作などに携わるようになる[3]。1930年に東亜日報に朝鮮初の大衆小説「大盜傳」を連載し人気を博す。1931年には劇芸術研究会を創立し新劇場運動の先駆者としての役割を果たした[3]。1937年満州国に移住し、歴史小説を執筆。日本の降伏後帰国し、朝鮮映画建設本部本部長兼代表委員長に就任[3]。1953年徐羅伐芸術大学校(現・中央大学校)学長。

脚注

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  1. ^ a b 윤백남 韓国映画データベース(KMDb) 2018年5月30日閲覧。
  2. ^ (9)파평 윤씨(坡平尹氏)-713,947명” (朝鮮語). 서울이코노미뉴스 (2014年7月6日). 2022年8月15日閲覧。
  3. ^ a b c 문화·민속/한국의 연극/한국의 신파극/신파극의 작가와 작품/윤백남, 《글로벌 세계 대백과》