小野瀬忠兵衛
この記事で示されている出典について、該当する記述が具体的にその文献の何ページあるいはどの章節にあるのか、特定が求められています。 |
小野瀬 忠兵衛(小野瀨忠兵衞[1]、おのせ ちゅうべえ、1899年(明治32年)8月21日[2] - 1977年(昭和52年)12月11日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員(3期)。
小野瀬 忠兵衛 | |
---|---|
| |
生年月日 | 1899年8月21日 |
出生地 | 茨城県新治郡九重村 |
没年月日 | 1977年12月11日(78歳没) |
出身校 | 慶應義塾大学部理財科 |
所属政党 |
(民主党→) (同志クラブ→) (民主クラブ→) (民主自由党→) 自由党 |
称号 |
正五位 勲三等旭日中綬章 黄綬褒章 紺綬褒章 |
選挙区 |
(茨城全県区→) 茨城1区 |
当選回数 | 3 |
在任期間 | 1946年 - 1952年8月28日 |
経歴
編集茨城県新治郡九重村生まれ、同県河内郡龍ケ崎町出身。旧制土浦中学校(現茨城県立土浦第一高等学校)、慶應義塾大学部理財科を卒業後、興亜製作所社長、茨城県塩業株式会社取締役。
次いで茨城県肥料卸商業組合、竜ヶ崎地方生活必需品配給統制組合、同食料品配給統制組合、同食糧営団格理事長。1946年(昭和21年)の第22回衆議院議員総選挙に茨城全県区から出馬し当選。衆議院経済安定委員長となり、茨城県司法保護委員。日本進歩党院内総務、民主党民情部長、民主自由党会計監督を務める。
のちに全国主食集荷協同組合連合会会長、社団法人全集連保証協会理事長、茨城倉庫社長、龍ヶ崎信用金庫理事長などを歴任。
長年、米穀集荷や肥料販売を行い業界団体の要職に就いて育成強化に尽したとして1960年(昭和35年)黄綬褒章受章[3]。
脚注
編集参考文献
編集- 衆議院・参議院『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
議会 | ||
---|---|---|
先代 水田三喜男 |
衆議院経済安定委員長 1949年 - 1950年 |
次代 図司安正 |