小西健一
日本のフィールドホッケー選手、スケート指導者
小西 健一(こにし けんいち、1909年(明治42年)3月20日[注 1] - 1986年(昭和61年)3月20日[1])は、日本のフィールドホッケー選手、スケート指導者。
経歴
編集朝鮮の咸興市で生まれた。1932年、早稲田大学経済学部を卒業した[1]。
1932年、日本のフィールドホッケーチームのメンバーとして、1932年ロサンゼルスオリンピックに出場し銀メダルを獲得した[1]。彼はフォワードとして2試合に出場した。
1933年、大日本スケート競技連盟(現日本スケート連盟)理事、大日本体育協会(現日本スポーツ協会)理事に就任[1]。1972年札幌オリンピックの日本スケート代表チームの選手強化本部長を務めた[1]。
その他、日本アイスホッケー連盟参与、日本スケート連盟参与、小西産業社長などを務めた[1]。
脚注
編集注釈
編集- ^ 『ジャパン WHO was WHO 物故者事典 1983-1987』250頁では1908年。
出典
編集参考文献
編集- 『ジャパン WHO was WHO 物故者事典 1983-1987』日外アソシエーツ、1988年。