小笠原長弘
室町時代後期(戦国時代)の武士。石見小笠原氏9代。
小笠原 長弘(おがさわら ながひろ)は、室町時代後期(戦国時代)の武士。石見国邑智郡河本郷(現在の島根県邑智郡川本町)の温湯城を本拠とする国人・石見小笠原氏の第9代当主。
時代 | 室町時代後期(戦国時代) |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 長享3年2月11日(1489年3月13日)[1] |
戒名 | 普安道賢院殿 |
官位 | 上総介 |
幕府 | 室町幕府 |
主君 | 足利義政→義尚 |
氏族 | 清和源氏義光流石見小笠原氏 |
父母 | 父:小笠原長直[2][3] |
兄弟 | 長弘、女(高橋久光室)[3]、女(吉見氏の室)[3] |
妻 | 三善氏の娘[2] |
子 | 長正[3] |
生涯
編集寛正2年(1461年)11月13日に父・長直が死去し[1]、その後を継いだ。
脚注
編集参考文献
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