小笠原長会
江戸時代後期の大名。肥前唐津藩3代藩主。従五位下・能登守。忠知系小笠原家11代。小笠原長保の次男。
小笠原 長会(おがさわら ながお)は、江戸時代後期の大名。肥前国唐津藩3代藩主。官位は従五位下・能登守。忠知系小笠原家11代。
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 |
文化7年(1810年) または文化8年2月22日(1811年3月16日)[1] |
死没 | 天保7年2月26日(1836年4月11日) |
改名 | 岩五郎(幼名)、長会 |
戒名 | 韜光院 |
墓所 | 東京都文京区本駒込の龍光寺 |
官位 | 従五位下能登守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉 |
藩 | 肥前唐津藩主 |
氏族 | 小笠原氏 |
父母 |
父:小笠原長保、母:小笠原長堯娘 養父:小笠原長泰 |
子 | 養子:長和 |
生涯
編集5000石を領した大身旗本の豊前国時枝領主・小笠原長保(小笠原長世の養子)の次男。
唐津藩主・小笠原長泰に嗣子がなかったため養嗣子となり、天保4年(1833年)9月20日の養父の隠居により家督を継いだ。同年12月16日、従五位下能登守に叙任する。しかし、藩主になった年に天保の大飢饉で凶作が起こるなどして苦難が続いた。
系譜
編集父母
養子