小笠原定政
小笠原 定政(おがさわら さだまさ)は、江戸時代中期の豊前国小倉新田藩(千束藩)の世嗣。通称は左京。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保4年(1719年) |
死没 | 元文4年6月12日(1739年7月17日) |
別名 | 左京(通称) |
藩 | 豊前小倉新田藩世嗣 |
氏族 | 小笠原氏(真方系府中小笠原氏) |
父母 | 父:小笠原貞通、母:不詳 |
兄弟 | 定政、貞顕、縫姫、五島盛峰正室ら |
妻 | 正室:牧野康重の娘 |
略歴
編集第2代藩主・小笠原貞通の次男として誕生。正室は牧野康重の娘。
貞通の嫡子に指名され、享保17年(1732年)に8代将軍・徳川吉宗に拝謁する。しかし、家督を継ぐことなく元文4年(1739年)に21歳で死去した。
家督は弟・貞顕が相続した。