小笠原保子
人物
編集1989年4月、TBSにアナウンサー25期生として入社。同期は福島弓子、斎藤哲也、小林豊、原山理一郎[4][5]。
1992年、報道局経済部に異動し記者[1]。「こちら経済部です」では特集コーナーを担当[1]。後、アナウンサー兼報道局記者[1]。
出演番組
編集テレビ
編集- 噂の!東京マガジン(1989年10月 - 12月)[7][8]
- JNNおはようニュース&スポーツ(1990年)[8]
- JNNニュースコール(1992年)[7][8]キャスター[1]
- こちら経済部です[1]
- JNNスポーツ&ニュース
- JNNフラッシュニュース[3]
- スペースJ(1995年10月 - 1996年9月)[7][8]リポーター[1]
- おはようクジラ[3]
- JNNニュース1130
- 新サンデーモーニング(1997年)ナレーター[8]
- i-NEWS Evening(BS-i)[7]
- JNNニュースバード(CS)[7]
ラジオ
編集脚注
編集- ^ a b c d e f g h i j k l 日外アソシエーツ 編『テレビ・タレント人名事典』(第6版)日外アソシエーツ、2004年6月25日、230頁。ISBN 4-8169-1852-3。
- ^ NHKウィークリーステラ1998年6月12日号 全国アナウンサー/キャスター名鑑
- ^ a b c d “小笠原 保子”. アナウンサー通信. TBS. 2002年8月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年4月8日閲覧。
- ^ 東京放送 編「III 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、239頁。「1989.4<25期生> 5人入社(男3・女2) 小林 豊 斎藤哲也 小笠原保子 福島弓子 原山理一郎(一般職採用)」
- ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、30-31頁。「89.4<25期生>4人入社 小林 豊 斎藤 哲也 小笠原 保子 福島 弓子 原山 理一郎…(一般職採用)」
- ^ 小笠原保子 (2002年7月11日). “2002年07月11日”. やんまるのページ. 2002年後半の日記. 2005年3月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年4月8日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 東京放送 編「III 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、239頁。「小笠原保子『CS「ニュースバード」、BS「i-ニュースイブニング」担当』 R「サンデー東京」「ラジオワールド」「世界をNIRAむ」「パワートーク」 TV「噂の東京マガジン(1989)」「ニュースコール(1992)」「スペースJ(1995)」」
- ^ a b c d e f g 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、31頁。「小笠原 保子… R「サンデー東京(89)」「ラジオワールド(96)」 TV「噂の東京マガジン(89)」「おはようニュース&スポーツ(90)」「ニュースコール(92)」「スペースJ(95)」「新サンデーモーニング<ナレーター>(97)」」
参考文献
編集- 東京放送 編『TBS50年史』東京放送、2002年1月。
- 日外アソシエーツ 編『テレビ・タレント人名事典』(第6版)日外アソシエーツ、2004年6月25日。ISBN 4-8169-1852-3。