小田急電鉄の荷物電車
小田急電鉄の荷物電車(おだきゅうでんてつのにもつでんしゃ)では、かつて小田急電鉄(前身である、小田原急行鉄道および東京急行電鉄(大東急)時代も含む)により行われていた荷物輸送の歴史について記述する。
荷物電車 | |
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小田急の荷物電車(1982年) | |
運行者 | 小田急電鉄 |
列車種別 |
荷物列車(1972年まで) 配送列車(1972年以降廃止まで) |
運行区間 | 新宿 - 小田原・片瀬江ノ島 |
経由線区 | 小田原線・江ノ島線 |
使用車両 | モニ1形→モユニ1形→デユニ1000形→デニ1000形・デニ1100形・デニ1300形 |
運行開始 | 1927年4月1日 |
運行終了 | 1984年3月31日 |
本項では以下、単に「小田急」と表記した場合は小田原急行鉄道および小田急電鉄をさすものとする。
歴史
編集小田急における荷物輸送は、1927年4月1日の小田原線開業当時に、荷物室を備えた101形電車によって手小荷物の輸送を開始したのが始まりである[1]。この当時は、鉄道旅行においては駅で手荷物を預けた上で、旅客の乗る列車と同一の列車で輸送しており[2]、小田急も旅客と手荷物の同時輸送を考慮していたとみられている[3]。同年秋に増備された131形電車と151形電車でも荷物室を設けており、同年11月からは荷物専用の車両としてモニ1形電車が導入されている[1]。ただし、現実には旅客と手荷物の同時輸送という需要はほとんどなく[3]、1929年に江ノ島線が開業した際の増備車には、荷物室は設けられなかった[3]。
当時は小田原線を毎日2往復の荷物列車が設定されていた[3]。江ノ島線開業と同時に、江ノ島線でも荷物輸送が開始されている[1]が、こちらは専用の荷物列車の運行はなく[3]、旅客列車に荷物を積載しての運行であった[3]。1939年3月には、逓信省からの要請を受けて[4]郵便逓送業務を行なうことになり[3]、逓信省の負担によりモニ1形のうち2両が郵便室を設置の上モユニ1形に改造された[5]。改造されなかったモニ1形は1941年に廃車となった[6]。
戦後も同様の運行形態が続いたが、荷物輸送が多くなり、1957年にはデハ1100形から1両が荷物車に改造されて、デニ1100形として運用を開始した[3]。特に学期始めや学期末などにはしばしば2両編成となり[7]、時には3両編成での運行もみられるようになった[7]。
1955年頃、自動車の増加が著しいため定時輸送が困難になっているという理由で、日本新聞協会か新聞配送連盟から鉄道による新聞輸送の要請があった[3]。始発電車前の運行となり、保線を担当する部署からは「保守間合いが確保できない」と猛反対があった[3]が、結局1955年10月から近郊区間の新聞朝刊輸送が開始された[3][注釈 1]。1959年4月1日のダイヤ改正からは、夕刊の輸送も開始された[3][注釈 2]。
1962年12月3日のダイヤ改正では、朝刊を輸送する列車については廃止となった[3]が、夕刊輸送用の列車は運行区間が小田原まで延長された[3][注釈 3]。また、この時から新聞列車はデニ1000形・デニ1100形ではなく、1200形・1300形・1400形が使用されるようになった[3]。このダイヤ改正からは江ノ島線にも荷物列車の運行が開始された[3]。1963年4月1日のダイヤ改正で、向ヶ丘遊園止まりの新聞輸送電車は相模大野まで延長された[3]ほか、小田原行きの新聞輸送電車は1300形の単行運転となった[8]。1969年には1300形が荷物電車に改造されて、デニ1300形として運用に加わった[9]。
その後、1971年には郵便輸送が廃止され、デユニ1000形は郵便室を撤去した上でデニ1000形に改造された。1972年には荷物輸送は社用品の輸送と兼用されることになり[8]、配送列車という扱いに変更された[10][注釈 4]。1973年には新宿駅の改良工事に伴い、新宿駅の荷物扱いホームが廃止されることになり、運行区間は経堂から小田原・江ノ島間に短縮された[1]。また、輸送量の減少により、1976年にはデニ1000形1両とデニ1100形1両が廃車となった[8]。1981年の時点では、運行区間は経堂から小田原・長後間となっていた[5]。
1984年3月21日限りで荷物輸送は廃止となり、同年3月31日限りで社用品輸送も終了し、小田急の荷物電車は全廃となった[8]。
運行上の特徴
編集新宿駅では1973年まで貨物・荷物扱い用のホームが存在しており[8]、ここでトラックから荷物電車への積み込みが行われていた[8]。また、一部の中間駅には旅客用ホームとは別に荷物用のホームが存在した[注釈 5]。
車両
編集車体色は旅客車両とは異なるものとしていた。
開業当時は青1色であった[5]が、戦時中には茶色1色となった[11]。戦後、1959年時点では緑色1色であった[12]が、1960年頃にデニ1000形の車体を更新した際には、緑色をベースに黄色い帯を配したデザインとなった[13][注釈 6]。1971年に郵便輸送が廃止された際に、赤13号(ローズピンク)1色に変更され[11]、さらに1973年からは白い帯を配したデザインとなった[11]。なお、デニ1300形については、1969年に改造された当初は茶色1色であった[9]が、1971年に赤13号に変更されている[9]。
荷物車両
編集- モニ1形→モユニ1形→デユニ1000形→デニ1000形
- 1927年11月にモニ1形として4両が導入された[5]が、うち2両は郵便室つきモユニ1形に改造され[6]、改造されなかった2両は1941年5月に廃車[3]。大東急時代の1942年[14]にデユニ1000形となった[6]。デユニ1000形として残った2両は1960年頃に1500形の車体を流用して[14]車体載せ換えを行い[15][16]、デハ1501の車体がデユニ1001に、クハ1551の車体がデユニ1002に移された。種車そのものの車長・車高が異なっていたことから、デユニ1001・1002の間には若干の差異がある[16][17]。1971年に郵便室が廃止されデニ1000形となる[18]。1976年に1両が廃車[19]。残る1両は制御装置・台車を交換の上[14]1984年の荷物輸送全廃まで使用された[14]。なお車体の載せ換えに際して余剰となった車体は、空気ばね式連接構造の自然振り子車の試験車体として用いられた[20]。
- デニ1100形
- 開業時に近郊区間用の車両として導入されたデハ1100形のうち、1958年2月に1両 (1101) が荷物電車に改造された[12]。1962年、油圧式強制振り子車の試験車として用いられた[21]。1976年に廃車[22]。
- デニ1300形
- 後述するモハニ151形の改造後の形式であるデハ1300形が、1969年10月に4両とも荷物電車に改造されて登場[18]。1984年の荷物輸送全廃まで使用された[14]。
荷物室つき旅客車両
編集いずれも小田原急行鉄道時代。
脚注
編集注釈
編集- ^ 新宿を午前4時5分に出発し、向ヶ丘遊園に午前4時39分に到着して、新宿まで回送される設定であった(生方 (1999) p.122)。
- ^ 新宿を午後3時43分に出発し、向ヶ丘遊園に午後4時13分に到着して、経堂まで回送される設定であった(生方 (1999) p.121)。
- ^ 新宿を午後2時36分に出発し、小田原に午後4時40分に到着する設定であった(生方 (1999) p.122)。
- ^ 新宿の小田急百貨店での購入品の配送も行われていた(山下 (1982) p.86)。
- ^ 1981年時点では、伊勢原駅で荷物用ホームの存在が確認されている(山下 (1982) p.87)。
- ^ 黄緑色1色となっていた時期もあるという(生方 (1981) p.81)。
出典
編集- ^ a b c d 山下 (1982) p.85
- ^ 生方 (1999) p.120
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 生方 (1999) p.121
- ^ 『小田急電鉄のひみつ』 p.144
- ^ a b c d e 山下 (1982) p.87
- ^ a b c 生方 (1959) p.67
- ^ a b 生方 (1963) p.81
- ^ a b c d e f 生方 (1999) p.122
- ^ a b c 山下 (1982) p.91
- ^ 山下 (1982) p.86
- ^ a b c 生方 (1981) p.81
- ^ a b 生方 (1959) p.68
- ^ 生方 (1963) p.82
- ^ a b c d e 小山 (1985) p.119
- ^ 生方 (1963) pp.81-82
- ^ a b 慶応義塾大学 (1969) p.62
- ^ 慶応義塾大学 (1969) p.225
- ^ a b 山下 (1973) p.79
- ^ 山下 (1982) p.90
- ^ 小山 (1985) p.124
- ^ 小山 (1985) p.127
- ^ 山下 (1982) p.92
- ^ 生方 (1959) p.51
- ^ 生方 (1959) p.52
- ^ a b c 生方 (1982) p.88
- ^ a b 生方 (1959) p.53
参考文献
編集書籍
編集- 生方良雄、諸河久『日本の私鉄5 小田急』保育社、1981年。0165-508530-7700。
- 小山育男、諸河久『私鉄の車両2 小田急』保育社、1985年。ISBN 4586532025。
- PHP研究所 編『小田急電鉄のひみつ』PHP研究所、2012年。ISBN 978-4569802442。
- 慶應義塾大学鉄道研究会『私鉄ガイドブック・シリーズ2 小田急・京王帝都・西武』誠文堂新光社、1969年。
雑誌記事
編集- 生方良雄「開業当時の小田急電車」『鉄道ピクトリアル』第405号、電気車研究会、1982年6月、86-91頁。
- 生方良雄「小田急の歴史に見られる興味・話題から」『鉄道ピクトリアル』第679号、電気車研究会、1999年12月、118-122頁。
- 生方良雄「私鉄車両めぐり37 小田急電鉄 (1959.10-12)」『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション』第1号、電気車研究会、2002年9月、42-71頁。
- 生方良雄「私鉄車両めぐり 小田急電鉄(補遺) (1963.4)」『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション』第1号、電気車研究会、2002年9月、pp. 74-82。
- 山下和幸「私鉄の荷物電車2 相模の国を走る小田急の荷電」『鉄道ファン』第249号、交友社、1982年1月、83-93頁。
- 山下和幸「私鉄車両めぐり101 小田急電鉄 (1973.11)」『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション』第2号、電気車研究会、2002年12月、59-82頁。