小田切昌純
日本の江戸時代中期の武士。江戸幕府旗本小田切昌雄の子で、旗本小田切氏6代当主。大番を勤めた
小田切 昌純(おだぎり まさずみ)は、江戸時代中期の武士。徳川氏家臣。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元禄6年(1693年) |
死没 | 享保14年11月21日(1730年1月9日)[1] |
別名 | 新蔵[1] |
戒名 | 見石[1] |
主君 | 徳川綱吉→徳川家宣→徳川家継→徳川吉宗 |
氏族 | 小田切氏 |
父母 | 父:小田切昌雄、母:小林直政娘[1] |
兄弟 | 昌純、女子(石川法章妻)、女子(木村種明妻)、女子[1] |
妻 | 大屋正直娘[1] |
子 | 言昌、英昌、女子[1] |
経歴・人物
編集元禄15年6月28日(1702年7月22日)10歳の時、徳川綱吉に拝謁する[1]。宝永6年4月6日(1709年5月15日)大番に列し、享保4年10月26日(1719年12月7日)番を辞す[1]。