小田切 光(おだぎり ひかる、1973年8月10日[1] - )は、日本実業家馬主。かつては元チェッカーズ徳永善也らとロックバンドLittle Bachを結成していた[1]ほか、ソロアーティストとしても活動した[2]

おだぎり ひかる

小田切 光
第41回フェブラリーSパドック(2024年2月18日)
生誕 (1973-08-10) 1973年8月10日(51歳)[1]
日本の旗 日本 福岡県[1]
出身校 東福岡高校[1]
職業
肩書き
  • 株式会社ダブルスマイル 代表取締役
  • 一般社団法人九州馬主協会 常務理事
  • 一般社団法人ハートリボン協会 理事[1]
小田切 有一(父)[1]
親戚
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経歴・人物

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1973年8月10日実業家小田切有一の息子として生まれる。福岡市東福岡高等学校卒業後上京、チェッカーズ徳永善也とともに「Little Bach」を結成し、ボーカルを務めた。1996年にバンドを脱退、1998年にはソロデビュー、シングルを2作発表した[要出典]

2009年には父の有一に続いて馬主となる。父が会長を務める九州馬主協会の常務理事にも就任している。また、いじめ対策や子ども食堂に関する取り組みを行う一般社団法人ハートリボン協会の理事にも名を連ねている[3]

趣味競馬ゴルフ[4]

馬主活動と所有馬

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小田切の勝負服を着用した菅原明良

日本中央競馬会(JRA)および地方競馬全国協会(NAR)に登録する馬主としても知られる。勝負服の柄は以前は桃、青玉霰、白袖青二本輪を、現在は黄、赤星散、黄袖を使用している。冠名は用いず、父親の有一と同じく特徴的な馬名を所有馬に与える、いわゆる「珍名馬」のオーナーであり、有一の「ファンがあっての競馬」の考え方[1]に倣い、ファンが楽しめるような馬名を付けているという[5]。なお、自身のTwitterで馬名の公募のほか、所有馬のグッズのプレゼント企画などを行っている[1]

馬主になったきっかけは、父の所有馬で騎手時代の音無秀孝が騎乗していたノアノハコブネが21番人気で優駿牝馬(オークス)を制し、その後調教師に転身した音無の下でオレハマッテルゼ高松宮記念を制し、音無に調教師としての初GIタイトルをプレゼントしたというドラマや人間関係に感動したこと[4]

「コパノ」の冠名で競走馬を所有する小林祥晃(Dr.コパ)と親交が深く、小田切は「東京のお父さん」と慕っている[4]。また、アカイイトヨカヨカを所有する岡浩二を「競馬の師匠」として尊敬しているという[4]

来歴

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主な所有馬

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斜字は地方重賞。

作品

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シングル
発売日 タイトル 規格 規格品番 収録曲
1st 1998年2月21日 Violet 8cmCD CWDA-6 1.Violet
2.1998・冬
3.Violet(Instrumental)
2nd 1998年7月21日 STANCE CWDA-7 1.STANCE
2.恋を語るには遅すぎて
3.STANCE(Instrumental)

脚注

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注釈

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  1. ^ 中央競馬所属時は有一名義。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j 【天皇賞・秋】カラテ 勝って香港でVSカンフーへ!珍名馬でおなじみ小田切光オーナー「前につけて」”. スポニチアネックス. スポーツニッポン (2022年10月26日). 2023年2月23日閲覧。
  2. ^ 小田切光の作品”. ORICON NEWS. オリコン. 2023年2月23日閲覧。
  3. ^ 団体概要”. 一般社団法人 ハートリボン協会. 2023年2月23日閲覧。
  4. ^ a b c d 【天皇賞・秋】カラテ、勝って香港で「対カンフー」!小田切光オーナー、父・有一氏から珍名&夢引き継ぐ”. スポーツ報知. 報知新聞社 (2022年10月26日). 2023年2月23日閲覧。
  5. ^ 【安田記念】“珍名馬イズム”継ぐ小田切光オーナー カラテで目指すは世界舞台!”. netkeiba.com. ネットドリーマーズ (2021年6月2日). 2023年2月23日閲覧。
  6. ^ カラテ”. JBIS-search. 日本軽種馬協会. 2023年5月7日閲覧。

外部リンク

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