小浜松次郎
日本の内務・警察官僚
小浜 松次郎(こはま まつじろう[1]、1868年4月7日〈慶応4年3月15日[2]〉 - 1946年〈昭和21年〉9月24日[3])は、日本の内務・警察官僚。官選青森県知事、小倉市長、初代函館市長。
経歴
編集薩摩国姶良郡加治木[2](現鹿児島県姶良市)で小浜有照の二男として生まれる[4]。
第二高等学校を首席で卒業。1897年7月、東京帝国大学法科大学を卒業。内務省に入省し内務属となり警保局に配属。1898年1月、警視庁警部兼警視属に発令。1900年11月、文官高等試験行政科試験に合格した[2][5]。
1901年7月、警視庁警視・小松川警察署長に就任。以後、検疫事務支署長、宮崎県警部長、宮崎県事務官・第四部長、石川県事務官・第四部長、警視庁警視・第二部長、同第一部長、同警務部長などを歴任[2]。
1914年4月、青森県知事に就任。県振興計画策定のため県産業調査会を創設した。1917年1月に休職となる[1][2]。1918年7月22日、依願免本官となり退官し[6]、同日小倉市長に就任し1921年1月12日まで在任[2]。1923年7月3日に初代の函館市長に就任。上水道拡張工事に着手し、1924年8月7日に辞任した[7]。
著作
編集- 『警察行政要義』三書楼、1907年。