小橋 稔(こばし みのる、1928年(95 - 96歳) - )は日本作曲家

東京芸術大学卒業で声楽家として活動するが、後に石桁真礼生に師事。1960年代頃から作曲を始め前半は管弦楽で、後半は声楽作品で数々の賞を受ける。その後日本的な舞台作品1970年代打楽器の作曲の時代に入る。国際現代音楽協会 (ISCM) などでも入選し海外でも演奏されている。代表作は1975年作の打楽器グループのための「阿呟」(あうん)がある。

入賞歴

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日本音楽コンクール作曲部門第1部(管弦楽曲)にて、第33回(1964年)3位、第34回(1965年)入選[1]

国際現代音楽協会1979年アテネにおいて「鬼女」で〈世界音楽の日々〉日本作品入選、1978年ストックホルム / ヘルシンキにて「阿呟」(あうん)入選[2]

作品

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  • 交響詩「東京オリンピック」(1963年、ビクター入賞)
  • 管弦楽のための2章(1964年、第33回日本音楽コンクール入選)
  • 交響的変奏曲(1964年、第33回日本音楽コンクール第3位)
  • 佐渡の民謡による交響詩「鬼太鼓幻想」(1965年、TBS賞入賞)
  • 小交響曲( 1965年、第34回日本音楽コンクール入選)
  • 管弦楽のための3つの断章(1967年、内閣主催「21世紀の日本」作曲部門入選)
  • 合唱と管弦楽のための「富士讃歌」(1967年)
  • 箏・十七絃と三本のフルートのための音楽(1970年)
  • ピアノと打楽器と管弦楽のための「うゐ」(1981年)
  • 4人の打楽器奏法のためのレクイエム
  • 三好達治の詩による二つの歌
  • 草野心平の詩による三つの蛙の歌

脚注

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出典

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  1. ^ 日本音楽コンクール 入選者一覧 第31回 - 第40回
  2. ^ 国際現代音楽協会 (ISCM) について - 中段、国際現代音楽協会(ISCM)音楽祭〈世界音楽の日々〉日本作品入選記録 1978年および1979年の項参照。