小槻 為景(おづき の ためかげ、生年不詳 - 建長元年(1249年))は、鎌倉時代の官人。左大史・小槻公尚の子。官位は正五位下・大舎人頭。
右少史を経て、嘉禄2年(1226年)算博士に任ぜられ、安貞元年(1228年)正五位下に叙せられる。のち、大舎人頭を務めたほか、仁治3年(1242年)紀伊介、寛元2年(1244年)筑後守と兼国している。また、摂政・九条教実の政所別当も務めた[1]。
建長元年(1249年)卒去。
「小槻氏系図」(『宮内庁書陵部』所蔵)による[8]。