小林玉潤

幕末から明治時代の画家

小林玉潤(こばやしぎょくじゅん、1851年 - 1877年4月1日)は、幕末から明治時代の画家。小林蔵六の妻。

常総市大楽寺に、小林蔵六・玉潤の供養碑がある。没年については、1880年としている資料もあるが、1879年(明治12年)11月に息子の小林源兵衛が建立した墓誌の記載が、1877年(明治10年)27歳で没とあるので、これが正しいと思われる[1]

人物

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下総、水海道(茨城県)の画家小林蔵六の後妻。生家が零落し居酒屋で働いていたとき、客の蔵六が描いた墨竹に一枝の梅をかきそえ、それが縁で夫婦になったという。先妻の安が、1861年(文久元年)に亡くなったあと、後妻に入った。明治10年、27歳で死去[2][3]。落款「玉潤女史」と「玉潤游戯」。

脚注

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  1. ^ 坂野家書画資料解説”. 常総市/デジタルミュージアム. 2021年2月16日閲覧。
  2. ^ 小林玉潤とは”. コトバンク. 2021年2月20日閲覧。
  3. ^ 坂野家書画資料解説”. 常総市/デジタルミュージアム. 2021年2月16日閲覧。