小林正次 (戦国武将)
小林 正次(こばやし まさつぐ)は、戦国時代の武将。徳川家康の家臣。
時代 | 戦国時代 - 江戸時代初期 |
---|---|
生誕 | 天文21年(1552年) |
死没 | 元和9年9月28日(1623年11月20日) |
別名 | 平次郎、平左衛門、勝之助 |
戒名 | 道光 |
墓所 | 福寿院(東京都新宿区) |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家康、秀忠 |
氏族 | 小林氏(称・桓武平氏) |
父母 | 小林重正 |
兄弟 | 重直、正次、正時、正忠、正吉、重成、加藤景親室、神尾江右衛門室 |
妻 | 山田但馬の娘 |
子 | 正直、宗次、正重、正倫、正吉、正村、正信、女子、小林重勝室、横山正次室、 |
略歴
編集永禄7年(1564年)から小姓として徳川家康に出仕し、同年の上和田の戦い、永禄12年(1569年)掛川城攻めで戦功を立てる。特に後者では敵中に逃げ遅れた味方を単騎救出し、本多忠勝や水野忠重に称賛されている。のち姉川の戦い、三方ヶ原の戦い、長篠の戦いなどに従軍し、その後も駿河・遠江平定の合戦に転戦した。天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いでも武功を立て、天正18年(1590年)小田原征伐では井伊直政の配下として従軍し、井伊隊の篠曲輪攻めで奮戦し、直政から「人鬼」と称賛された。その後、軍令違反を犯すが、代々の功績を重んじられて一時的な隠居処分となった。慶長19年(1614年)大坂冬の陣では徳川秀忠の槍奉行として従軍。翌年の夏の陣にも従い、その戦功により武蔵入間・多摩郡内に500石を領した。
参考文献
編集- 「寛政重修諸家譜」巻第1025