小林庄一郎
日本の経営者
小林 庄一郎(こばやし しょういちろう、1922年7月14日 - 2020年2月4日[3])は、日本の経営者である[1]。
こばやし しょういちろう | |
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生誕 |
1922年7月14日[1] 中華民国奉天省大連市[2] |
死没 | 2020年2月4日(97歳没) |
出身校 |
旅順高等学校 (旧制)[2] 東京帝国大学経済学部[2] |
雇用者 | 関西配電→関西電力[1] |
経歴
編集中華民国奉天省(現中華人民共和国遼寧省)大連市生まれ[2]。生まれた頃は父方の阿部姓だったが、帝大入学以降に母方の養子となり小林姓になる。旅順高等学校 (旧制) から東京帝国大学(現東京大学)経済学部に進学[2]。1943年、大学2年で学徒出陣[2]。海軍少尉となり、駆逐艦桐に砲術士として乗艦[2]。山口県沖に停泊中の艦上で玉音放送を聞いた[2]。
日本の敗戦後復学し、1947年1月関西配電(現関西電力)に入社[2]。1977年関西電力社長、1985年会長[1]。1987年、芦原義重名誉会長を解任した(関電二・二六事件)[1]。1997年相談役、2002年-2015年6月顧問[2]。
1984年-1985年電気事業連合会会長[2]。関西文化学術研究都市推進機構理事長、日本放送協会(NHK)経営委員長を務めた[1]。
脚注
編集- ^ a b c d e f g “小林庄一郎 こばやし しょういちろう”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus. 講談社. 2019年10月10日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l “【戦後70年】駆逐艦に配属、敵機の攻撃で友失う 「死は運、不運だった。本人の意志は関係なかった」 元関電会長・小林庄一郎氏”. 産経新聞. 産業経済新聞社 (2015年12月16日). 2019年10月3日閲覧。
- ^ “関西電力元会長、小林庄一郎さん死去 97歳”. 朝日新聞. (2020年2月5日) 2020年2月5日閲覧。
- ^ INC, SANKEI DIGITAL (2020年2月5日). “元関電会長、小林庄一郎さん死去 「クーデター」を主導”. 産経ニュース. 2020年2月5日閲覧。
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