小林小太郎 (貴族院議員)
小林 小太郎(こばやし こたろう、1846年8月29日(弘化3年7月8日[1]) - 1901年(明治34年)2月4日[1][2])は、明治時代の豪農[1]、政治家。貴族院多額納税者議員、山梨県南巨摩郡増穂村長。幼名・仁造[1]。
経歴
編集甲斐国巨摩郡舂米村(山梨県南巨摩郡増穂村、増穂町を経て現富士川町)で小林常八の長男として生まれ、本家・小林八右衛門の養子となり、1968年(明治元年)家督を相続し小太郎と改名した[1]。養家は領主田安家の奥番格で郡中惣(総)取締を務め甲州一の豪農といわれた[1]。
1872年(明治5年)巨摩郡第30区戸長に就任し、舂米村戸長、増穂村戸長、第15区区長、学区取締を歴任[1][2]。1877年(明治7年)、山梨県会議員に当選し、南巨摩郡所得税調査委員を務め、1892年(明治25年)4月、増穂村長に就任した[1][2][3]。
1894年(明治27年)補欠選挙で貴族院多額納税者議員に互選され[3][4]、同年12月10日[4][5]から1897年(明治30年)9月28日まで在任した[2]。
親族
編集脚注
編集参考文献
編集- 甲府興信所編『山梨人事興信録』甲府興信所、1928。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 『山梨百科事典』増補改訂版、山梨日日新聞社、1989年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。