小川 悌(おがわ よし[1]1876年明治9年)4月17日[2] - 没年不詳)は、日本裁判官

経歴

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千葉県山武郡東金町(現在の東金市)出身[2]1903年(明治36年)、東京帝国大学法科大学を卒業し、司法官試補となる[2]名古屋地方裁判所判事、東京区裁判所判事、東京地方裁判所判事、東京地方裁判所予審掛、東京地方裁判所部長、東京控訴院判事、宇都宮地方裁判所所長を歴任した[1]

1920年大正9年)、朝鮮総督府裁判所判事となり、高等法院判事、大邱地方法院長、高等法院判事、同部長、京城覆審法院長を歴任し、1934年(昭和9年)に高等法院長に就任した[1]

脚注

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出典

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参考文献

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  • 『帝国法曹大観』帝国法曹大観編纂会、1915年。 
  • 『朝鮮人事興信録』朝鮮人事興信録編纂部、1935年。