小島幸夫
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小島 幸夫(こじま ゆきお、1929年(昭和4年)2月10日[1] - 1999年(平成11年)1月2日[1])は、教育者。政治家。京都府亀岡市長。京都府出身。
人物
編集- 1948年 - 立命館大学専門部理学科物理科卒業。卒業後、亀岡市立亀岡中学校・船井郡八木町立八木中学校の教諭を務める。また、日本共産党京都府委員会の役員も務める。
- 1975年 - 現職の平田一義を破って、亀岡市長に当選。京都府中部初の革新自治体、京都府内初の共産党員市長となる。
- 市立老人福祉センターの建設や交通安全都市の宣言、消費生活モニター制度発足、一般廃棄物処理事業の公益法人化(亀岡市清掃公社)などの革新市策を推進する。
- 亀岡市立の保育所のクリスマス会でサンタクロースを演じたことがある。
- 市長在任時には50千人だった人口も60千人を突破した。
- 1979年 - 亀岡市長再選を目指すも同市元助役の保守系の谷口義久に敗れる。以後、亀岡市長の再出馬・京都府議会議員選挙などに出馬するも当選には至らなかった。
受賞
編集- 亀岡市自治功労者
脚注
編集参考文献
編集- 京都新聞社『京都年鑑』