小山藩(おやまはん)は、江戸時代前期の短期間、下野国に存在した藩。藩庁は都賀郡小山(現在の栃木県小山市)の小山城(祇園城)に置かれた。1608年に本多正純が3万3000石を与えられて成立したが、1619年に宇都宮藩に加増されて転出し、廃藩となった。

藩史

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前史

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小山は中世以来の豪族・小山氏の本拠地として知られ[1]、小山城(祇園城)の起源も小山氏の居館であるという[2]。天正2年(1574年)に後北条氏が小山秀綱の籠る小山城を攻め、以後小山城は後北条氏の北関東攻略の拠点として拡張された[2]。その後秀綱は後北条家に降って小山城に復帰するが[2]、天正18年(1590年)の小田原征伐の際に結城晴朝(小山秀綱の実弟)に攻められて小山城は落城し、小山氏は改易された[2]。小山は結城晴朝秀康の支配下となった。

関ヶ原の戦いの後、秀康が越前福井藩に加増移封になると、小山は天領となった。

立藩から廃藩まで

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慶長13年(1608年[注釈 1]本多正純が3万3000石で小山に入ったことから、小山藩が立藩した[3]

正純は徳川家康の謀臣として知られる本多正信の嫡子で、家康が大御所になると家康の側近として権勢を大いに振るった。家康没後は徳川秀忠に仕え、元和2年(1616年)には2万石を加増された。

元和5年(1619年)、正純は下野宇都宮藩15万5000石に加増移封となった[3]。これにより小山は宇都宮藩領の一部となり、小山藩は廃藩となったとされる[3]。その後、元和8年(1622年)に宇都宮藩主本多正純は改易された[3]。小山付近は古河藩領となった。

歴代藩主

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本多(ほんだ)家

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3万3000石→5万3000石。譜代

  1. 正純(まさずみ)

脚注

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注釈

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  1. ^ 慶長12年(1608年)ともされる[3]。「慶長13年(1608年)頃」と入封時期に幅を持たせて表現されることもある[4]

出典

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  1. ^ 小山市のあゆみ”. 小山市. 2022年9月25日閲覧。
  2. ^ a b c d 小山城”. 日本の城がわかる事典. 2022年9月25日閲覧。
  3. ^ a b c d e 小山藩”. ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典. 2022年9月25日閲覧。
  4. ^ “初代小山藩主・本多正純の実像に迫る 小山市立博物館で企画展”. 東京新聞. (2019年11月14日). https://www.tokyo-np.co.jp/article/21033 2022年9月25日閲覧。 

関連項目

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  • 藩の一覧
  • 榎本藩 - 正純の弟・本多忠純が下野国内に封じられて成立した藩。石高は最大時2万8000石。寛永17年(1640年)廃藩。

外部リンク

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