対馬市立小綱小学校
長崎県対馬市にある小学校
対馬市立小綱小学校(つしましりつ こづなしょうがっこう, Tsushima City Kozuna Elementary School)は、長崎県対馬市豊玉町 [1]小綱にあった公立小学校。
対馬市立小綱小学校 | |
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北緯34度25分05秒 東経129度17分12秒 / 北緯34.417944度 東経129.28675度座標: 北緯34度25分05秒 東経129度17分12秒 / 北緯34.417944度 東経129.28675度 | |
過去の名称 |
第五大学区第四中学区小綱小学校 仁位学区公立中等仁位小学校下等小綱分校 卯麦学区簡易小綱小学校 卯麦学区尋常小綱小学校 小綱尋常小学校 小綱尋常高等学校 奴加岳村立小綱国民学校 奴加岳村立小綱小学校・中学校 豊玉村立小綱小学校・中学校 豊玉町立小綱小学校・中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 対馬市 |
併合学校 | 田尋常小学校 |
設立年月日 |
【創立】 1873年(明治6年)11月 【正式認可】 1874年(明治7年)6月1日 |
閉校年月日 | 2021年(令和3年)3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B142210002614 |
所在地 | 〒817-1256 |
長崎県対馬市豊玉町小綱19番2号 | |
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概要
編集沿革
編集- 1873年(明治6年)11月 - 小綱村に「小綱小学校」が創立。
- 1874年(明治7年)6月1日 -「第五大学区第四中学区(大船越学区)小綱小学校」の設置が文部省によって正式に認可。
- 1883年(明治16年)- 「仁位学区公立中等仁位小学校下等小綱分校」に改称。
- 1886年(明治19年)7月 - 小学校令により、中等科・初等科を廃止の上、簡易科を設置し、「卯麦学区簡易小綱小学校」に改称。
- 1891年(明治24年)
- 1893年(明治26年)4月 - 「小綱尋常小学校」に改称(「尋常」の位置が変更される)。
- 1901年(明治34年)- 田(た)・銘(めい)・志多浦(したうら)に分教場を設置。
- 1902年(明治35年)- 銘分教場と志多浦分教場を廃止。
- 1903年(明治36年)- 田分教場が分離の上、田尋常小学校として独立。
- 1908年(明治41年)4月 - 義務教育期間が尋常科4年から尋常科6年まで延長。これに伴い、尋常科5年を設置。下県郡奴加岳[8]村が発足し、その所管となる。
- 1909年(明治42年)4月 - 尋常科6年を設置。
- 1912年(明治45年)6月 - 校舎がせまく、従来の校舎に加え、民家数軒を借用し授業を実施。
- 1915年(大正4年)4月 - 高等科を併置し、「小綱尋常高等小学校」に改称。尋常科5・6年生を田尋常小学校へ委託。
- 1916年(大正5年)4月 - 田尋常小学校を統合し、再び田分教場とする。
- 1917年(大正6年)5月 - 小綱農業補習学校を併置。
- 1930年(昭和5年)
- 1939年(昭和14年)6月1日 - 青年学校令により、併置の小綱農業補習学校が小綱青年学校に改称。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、「奴加岳村立小綱国民学校」に改称。尋常科を初等科に改称(初等科6年・高等科2年)。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)。
- 旧・小綱国民学校の初等科が改組され、「奴加岳村立小綱小学校」となる。
- 旧・小綱国民学校の高等科および旧・小綱青年学校が改組され、奴加岳村立小綱中学校となり小学校に併設。当分の間小学校と青年学校の校舎を利用。
- 1948年(昭和23年)10月1日 - 中学校校舎が完成。
- 1952年(昭和27年)12月 - 運動場を拡張。
- 1953年(昭和28年)12月4日 - 家事室を消失。
- 1955年(昭和30年)
- 3月20日 - 仁位村と奴加岳村の合併により豊玉村が発足。これに伴い、「豊玉村立小綱小学校・中学校」に改称。
- 10月 - 中学校校舎を増築。
- 1956年(昭和31年)11月5日 - 校章を制定。
- 1960年(昭和35年)- 在籍児童数が最大の285名を記録する[9]。
- 1961年(昭和36年)7月 - JRCに加盟。
- 1962年(昭和37年)- 豪雨で山崩れが発生。
- 1963年(昭和38年)3月 - 特別教室が完成。
- 1965年(昭和40年)3月 - 給食室が完成。
- 1975年(昭和50年)4月1日 - 豊玉村の町制施行により、「豊玉町立小綱小学校・中学校」となる。
- 1976年(昭和51年)4月1日 - 豊玉町立小綱中学校が廃止[10]され、併設を解消し単独校となる。
- 1980年(昭和55年)3月31日 - 鉄筋コンクリート造3階建て校舎が完成。運動場を整備[3]。
- 1988年(昭和63年)3月1日 - 体育館が完成[3]。
- 1990年(平成2年)6月27日 - 校旗を制定[3]。
- 2004年(平成16年)3月1日 - 対馬市の発足に伴い、「対馬市立小綱小学校」(現校名)となる。
- 2021年(令和3年)
アクセス
編集- 最寄りのバス停
- 対馬交通 小綱循環(佐保廻り)「小綱」バス停
- 最寄りの道路
周辺
編集脚注
編集- ^ a b 対馬市発足前は「とよたまちょう」と読まれていたが、対馬市発足後は「とよたままち」と読まれるようになった。
- ^ a b 「1人でも元気 入学式 本年度末で閉校の小綱小」(西日本新聞 2020年(令和2年)4月9日 第48996号 長崎版 18面)
- ^ a b c d e f 広報つしま2021年2月号特集「たくさんの思い出をありがとう~小綱小学校閉校~」 (PDF) - 対馬市ウェブサイト
- ^ 長崎区が第一中学区、旧大村藩が第二学区、旧島原藩が第三学区、旧平戸藩が第四学区、旧福江藩が第五中学区。なお壱岐と対馬は第四中学区に属した。
- ^ 大綱字キシキシ・大綱字糠の小学校区は対馬市立豊玉小学校。
- ^ 対馬市立小・中学校の通学区域の設定に関する規則 - 対馬市ウェブサイト
- ^ 地区の読み方に関しては日本郵便ウェブサイトの郵便番号検索を参照。
- ^ 読みは「ぬかだけ」。
- ^ a b c 「小綱小で閉校式 児童が校旗返還」(西日本新聞, 2021年(令和3年)3月16日 第49325号 長崎県版 21面長崎ワイド)
- ^ この時、豊玉町立の中学校4校(仁位・乙宮・小綱・塩戸)が統合され、豊玉町立豊玉中学校が開校した。
- ^ 観音寺の観世音菩薩坐像 - ながさき旅ネット ウェブサイト
参考文献
編集- 「豊玉町誌」(1992年(平成4年)3月発行, 豊玉町役場)p.790 ~ p.791