寺島 長資(てらしま ながすけ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将長尾氏上杉氏)の家臣。魚津城の戦いにおける守将の1人。

 
寺島長資
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 天正10年6月3日1582年6月22日
改名 亀千代(幼名)、長資
別名 六蔵、六三(通称)、長秀
墓所 山形県長井市横町遍照寺
主君 上杉謙信景勝
氏族 吉江氏寺島氏
父母 吉江景資
寺島和泉守
兄弟 長資中条景泰吉江長忠
正貞
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略歴

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吉江景資の長男として誕生。寺島和泉守の養子となり寺島氏の名跡を継いだ。

天正10年(1582年)の魚津城の戦いでは、祖父・吉江宗信、父・景資、弟・中条景泰と共に守将となって奮戦するも、同年6月3日に織田信長の大将・柴田勝家に攻め落とされ、一族と共に自刃した。「魚津在城衆十二名連署書状」には4番目に名が記されている。なお、自刃した日は本能寺の変で信長が自害した翌日であった。

菩提寺となった遍照寺に長資の墓碑が伝わっている。

系譜

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出典

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  • 史料
    • 『越佐史料』
    • 『上杉家御年譜』
    • 『中条家文書』

脚注 

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外部リンク

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先代
寺島和泉守
寺島家当主
? - 1582
次代
寺島正貞