寛延二年大洪水
寛延二年大洪水(かんえんにねんだいこうずい)は、1749年8月13日(寛延2年7月3日[1][2])に播磨国(現在の兵庫県姫路市)の船場川で起きた水害[3]。「寛延2年の水害」「播磨大水」とも称される[要出典]。
豪雨で増水した船場川の市川取水口が決壊、家屋流失161戸、被害田畑583町[1]、溺死者402人を記録し[3]、特に船場地区は302人の死者を出した[4]。
後に建立された菩提碑・供養碑としては、四郷町の「溺死者菩提碑」(1755年(宝暦5年)建立)[5]、法華寺(五軒邸1丁目)の供養塔[6]、見星寺(材木町)の菩提碑(1773年(安永2年)建立)[4]がある。
脚注
編集- ^ a b 山本 2007, p. 124.
- ^ 市川のほとり 2007年 Vol.1 (PDF) - 兵庫県中播磨県民センター 姫路土木事務所 河川砂防課
- ^ a b 現在までに語り継がれる『災害』について (PDF) - 総務省消防庁(p.104を参照)
- ^ a b 文化財見学シリーズ20 『城東地区』を訪ねて (PDF) - 姫路市教育委員会(初出は1988年)
- ^ 文化財見学シリーズ31 『四郷町』を訪ねて (PDF) - 姫路市教育委員会(初出は1993年)
- ^ 文化財見学シリーズ24 『城東地区』を訪ねて (PDF) - 姫路市教育委員会(初出は1990年)
関連文献
編集- 橋本政次『姫路城史』中巻 姫路城史刊行委員会、1952年(1994年、臨川書店より復刻)
- 姫路市教育委員会(編)『姫路の文化財』第2巻 姫路市教育委員会、2002年
- 姫路市教育委員会(編)『石造遺品銘文集』姫路市教育委員会、1995年
- 『姫路城下浸水被害図』姫路市文化財保護協会、2003年(1749年作成の模造品[1])
参考文献
編集- 山本博文 編『見る、読む、調べる 江戸時代年表』(初版)小学館、2007年10月6日。ISBN 978-4096266069。