富田 等平(とみた とうへい、1871年4月8日明治4年3月8日[1] - (昭和20年)1945年6月2日[2])は、日本の政治家衆議院議員(2期)。

経歴

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長崎県出身[2]旧制長崎県立長崎中学校に学ぶ。酒造業を営み、佐世保村議、佐世保市議、同参事会員、同副議長、同議長、長崎県議、同参事会員、所得税調査委員となる[2]。早岐銀行監査役、佐世保貯蓄銀行常務取締役、佐世保銀行、親和銀行各頭取、長崎県酒造組合連合会会長、佐世保商工会議所会頭などを務める[2]

1927年長崎2区(小選挙区制)選出の富田愿之助死去による補欠選挙政友本党公認で立候補して当選した。翌1928年第17回衆議院議員総選挙には出馬しなかった。1936年第19回衆議院議員総選挙において長崎2区(当時)から立憲民政党公認で立候補して当選[3]1937年第20回衆議院議員総選挙には出馬しなかった。1945年死去。

脚注

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  1. ^ 衆議院『第六十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1936年、8頁。
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』431頁。
  3. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』112頁。

参考文献

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  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。