宮里 昭也(みやざと あきや、1936年昭和11年)9月24日 - 2017年平成29年)1月12日[1])は日本の実業家、新聞記者。元琉球新報社会長

略歴

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1936年(昭和11年)9月24日、沖縄県大宜味村に生まれる。1960年(昭和35年)法政大学法学部を卒業し[1]1961年(昭和36年)琉球新報社に入社する[1]。東京支社報道副部長、政経部長、社会部長、編集局次長を経て、1983年(昭和58年)編集局長に就任する[1]

1987年(昭和62年)に取締役[1]1993年平成5年)に常務[1]1994年(平成6年)に専務[1]1996年(平成8年)に社長[1]。同年、政府の諮問機関「沖縄米軍基地所在市町村に関する懇談会」の委員として、沖縄振興策の策定に関わった[1]2004年(平成16年)に取締役会長に退き、2006年(平成18年)まで勤めた[1]。2008年沖縄フィンランド協会会長[1]

2017年(平成29年)1月12日、心不全のため死去[2]。80歳没。

参考文献

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k 宮里昭也氏が死去 琉球新報社元社長 80歳”. 琉球新報デジタル. 2023年2月4日閲覧。
  2. ^ 宮里昭也さん=80歳 元琉球新報社社長 毎日新聞 2017年1月13日付

外部リンク

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