宮本清一
大日本帝国陸軍軍人
宮本 清一(みやもと きよかず[1]、1896年(明治29年)4月8日[2] - 1986年(昭和61年)5月28日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[1]。
宮本 清一 | |
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生誕 |
1896年4月8日 日本 三重県 |
死没 | 1986年5月28日(90歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1917年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
経歴
編集1896年(明治29年)に三重県で生まれた[2]。陸軍士官学校第29期、陸軍大学校第37期卒業[2]。1939年(昭和14年)1月31日に陸軍習志野学校研究部主事に就任して3月9日に陸軍砲兵大佐に進級し[1]、4月6日に兼陸軍大学校教官となった[1]。同年10月27日に免兼となり[1]、1940年(昭和15年)12月に関東軍化学部長に就任した[1]。
1943年(昭和18年)1月18日に第22師団参謀長(支那派遣軍・第23軍)に就任し[2]、中国戦線に出動[2]。同年3月1日に陸軍少将に進級し[1]、1944年(昭和19年)12月11日に化兵監兼大本営陸軍幕僚附に就任[3]。ガス防護などの研究を統括し、終戦を迎えた[2]。
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。