宮崎竜成
宮崎 竜成(みやざき りゅうせい、2000年12月9日 - )は、徳島県板野郡北島町出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。千葉ロッテマリーンズ所属。
千葉ロッテマリーンズ #44 | |
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2024年11月2日京セラドーム大阪 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 徳島県板野郡北島町 |
生年月日 | 2000年12月9日(24歳) |
身長 体重 |
173 cm 85 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 二塁手 |
プロ入り | 2024年 ドラフト2位 |
年俸 | 1400万円(2025年)[1] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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経歴
編集北島町立北島南小学校3年生から北島南十字星で軟式野球を始め、北島町立北島中学校時代はヤング徳島ホークスでプレーした[3][4]。
創志学園高等学校では1年秋からベンチ入りした[4]。2年春の第89回選抜高等学校野球大会に出場。三浦銀二、古賀悠斗擁する福岡大大濠との初戦で1安打を記録したが、試合は敗れた[5]。3年夏の第100回全国高等学校野球選手権記念大会にも出場し、2試合で2安打を記録した[6][7]。1学年上に難波侑平、1学年下に西純矢、草加勝がいた。
高校卒業後は立命館大学へ進学。1年秋からリーグ戦に出場[4]。4年時の2022年から主将を務めたが、同年春のリーグ戦では1982年のリーグ発足後初の最下位に転落してしまった[8]。
大学卒業後は野球を辞めるつもりだったが、ヤマハから勧誘を受けて、同社で野球を続けることになった[9]。1年目の2023年は右肘のクリーニング手術を受け、リハビリに努めた。2024年より二塁手のレギュラーに定着し、同年9月24日に開催されたドラフト会議にて、千葉ロッテマリーンズから2位指名を受けた[3][9]。11月14日、契約金8000万円、年俸1400万円で入団に合意した[1]。背番号は44[10][注 1]。担当スカウトは田中良平[12]。
詳細情報
編集背番号
編集- 44(2025年[10] - )
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d 「【ロッテ】ドラ2のヤマハ・宮崎竜成 会見で希望の背番号を「21番」と即答も吉井監督の番号で「やばっ!!」…入団交渉」『スポーツ報知』2024年11月14日。2025年1月19日閲覧。
- ^ 「もっと社会人野球:「死にはせんから」オリンピアンの母の教え ヤマハ・宮崎竜成」『毎日新聞』2024年10月19日。2024年10月27日閲覧。
- ^ a b 「【ドラフト】ロッテ2位のヤマハ宮崎竜成「正直上位指名にはびっくり。人生で忘れられない1日」」『日刊スポーツ』2024年10月24日。2024年10月28日閲覧。
- ^ a b c 「今秋ドラフト候補の立命大・宮崎竜成が始動 創志学園で阪神・西純の1年先輩「MVPを取れる活躍したい」」『Sponichi Annex』2022年1月12日。2024年10月28日閲覧。
- ^ 「創志学園 対 福岡大大濠 - スコア詳細 - 第89回選抜高校野球(2017)」『日刊スポーツ』。2024年10月27日閲覧。
- ^ 「創志学園 対 創成館 - スコア速報 - 夏の甲子園2018」『日刊スポーツ』。2024年10月27日閲覧。
- ^ 「下関国際 対 創志学園 - スコア速報 - 夏の甲子園2018」『日刊スポーツ』。2024年10月27日閲覧。
- ^ 「立命大が連勝で同大の胴上げを阻止 主将・宮崎が決勝場外弾「最高に気持ちよかった」」『スポニチ Sponichi Annex』2022年5月22日。2024年10月27日閲覧。
- ^ a b 「ロッテ2位指名 ヤマハ宮崎竜成選手 “びっくりした”」『NHK NEWS WEB』2024年10月24日。2024年10月27日閲覧。
- ^ a b 「【ロッテ】西川史礁6、宮崎竜成44、一條力真41、坂井遼62など/新入団選手背番号」『日刊スポーツ』2024年12月4日。2025年1月20日閲覧。
- ^ 「【ロッテ】石川柊太、背番号は「21」 吉井監督から譲り受けた経緯明かす」『日刊スポーツ』2024年12月19日。2025年1月19日閲覧。
- ^ 「ロッテ、ドラ2・宮崎竜成に指名挨拶「結果を出せるようにより頑張ってきたい」」『BASEBALL KING』2024年10月29日。2025年1月20日閲覧。