宮崎県立都城さくら聴覚支援学校
宮崎県都城市にある特別支援学校
宮崎県立都城さくら聴覚支援学校(みやざきけんりつ みやこのじょうさくらちょうかくしえんがっこう)は、宮崎県都城市都原町にある県立聴覚特別支援学校。
宮崎県立都城さくら聴覚支援学校 | |
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北緯31度44分6.0秒 東経131度2分35.8秒 / 北緯31.735000度 東経131.043278度座標: 北緯31度44分6.0秒 東経131度2分35.8秒 / 北緯31.735000度 東経131.043278度 | |
過去の名称 |
都城市聾話学院 都城聾話学校 宮崎県代用聾話学校[1] 宮崎県立聾学校 宮崎県立都城ろう学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 宮崎県 |
校訓 | 豊かな心・強い心・感謝の心 |
設立年月日 | 1927年(昭和2年)9月 |
創立者 | 富田保助 |
共学・別学 | 男女共学 |
設置学部 |
幼稚部 小学部 中学部 高等部 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | E145220298215 |
特別支援学校コード | 45453C(高等部)[2] |
所在地 | 〒885-0094 |
宮崎県都城市都原町7430番地 | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
概要
編集- 歴史
- 1927年(昭和2年)に牟田町で歯科医をしていた富田保助が、聴覚障害を持つ長女のために聾教育を思い立ち自宅に創立した[1]「都城市聾話学院」を前身とする。1935年(昭和10年)に「宮崎県立聾学校」に改称。現校名になったのは2008年(平成20年)。2012年(平成24年)に創立85周年を迎えた。
- 設置学部
- 幼稚部
- 小学部
- 中学部
- 高等部
- 校訓
- 「豊かな心・強い心・感謝の心」
- 校歌
- 歌詞は2番まであり、校名は歌詞中に登場しない。
沿革
編集- 1927年(昭和2年)9月 - 富田保助が「都城市聾話学院」を設立し、口話式聾教育を開始。
- 1929年(昭和4年)2月 -「都城聾話学校」(私立学校)に改称。
- 1930年(昭和5年)11月8日 - 牟田町二厳寺橋近くの田の中に校舎が完成[1]。
- 1931年(昭和6年)4月1日 - 「宮崎県代用聾話学校」に改称[1]。
- 1935年(昭和10年)4月1日 - 県立移管により「宮崎県立聾学校」に改称。創立者の富田保助が初代校長に就任。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 盲聾学校が義務制となる。延岡分校を設置。
- 1949年(昭和24年)
- 4月1日 - 高等部を設置。
- 12月 - 都城市横市松元堀に新校舎が完成し移転を完了。
- 1951年(昭和26年)10月 - 理容師養成施設として指定される。
- 1954年(昭和29年)4月 - 寄宿舎の一部をろうあ児施設の宮崎県立高千穂学園に移管。
- 1955年(昭和30年)4月 - 延岡分校が分離し、宮崎県立延岡ろう学校として独立したため、「宮崎県立都城ろう学校」と改称。
- 1967年(昭和42年)9月1日 - 幼稚部(5歳児)を設置。
- 1969年(昭和44年)4月1日 - 幼稚部に4歳児学級を設置。
- 1972年(昭和47年)3月 - プールが完成。
- 1974年(昭和49年)4月1日 - 幼稚部に3歳児学級を設置。
- 1977年(昭和52年)9月 - 校旗を制定。
- 1999年(平成11年)1月 - 校舎の大規模改造を実施。
- 2002年(平成14年)4月1日 - 高等部理容科を廃止し、高等部普通科を設置。
- 2006年(平成18年)3月31日 - 高等部産業工芸科を廃止。
- 2007年(平成19年)4月1日 - 学校教育法の改正により、特別支援教育を開始。
- 2008年(平成20年)4月1日 -「宮崎県立都城さくら聴覚支援学校」(現校名)に改称。
交通
編集- 最寄りの鉄道駅
- 最寄りのバス停
- 宮崎交通 「都原」バス停で下車。
- 最寄りの幹線道路
周辺
編集- 宮崎県立都城西高等学校
- 都城高等学校
- 宮崎県立都城きりしま支援学校
- 都城市立西中学校