宮城野橋(みやぎのばし)は、宮城県仙台市青葉区および宮城野区にある自動車歩行者両用の跨線橋である。東日本旅客鉄道仙台駅の北側にあり、東北本線仙山線を直交する形でまたいでいる。初代の橋の開通は1921年大正10年)[1]。橋の取付道路が、両側とも二方向に分かれていたことから、通称でX橋(えっくすばし)と呼ばれた[2]。後の道路の整備により、橋の両側にあった分岐は失われた。

3代目の宮城野橋(2023年8月)
宮城野橋(X橋)


南西側から見た旧橋。煉瓦が貼られた橋脚の下の道が名掛丁新道[注釈 1]。宮城野橋をくぐっている線路は東北本線と仙山線で、宮城野橋より上に架かるのは東北新幹線の高架橋。2005年(平成17年)5月。

地図
基本情報
日本の旗 日本
所在地 宮城県仙台市青葉区および宮城野区
設計者
施工者
櫻田機械工業
建設
座標 北緯38度15分47秒 東経140度52分58秒 / 北緯38.26306度 東経140.88278度 / 38.26306; 140.88278座標: 北緯38度15分47秒 東経140度52分58秒 / 北緯38.26306度 東経140.88278度 / 38.26306; 140.88278
構造諸元
形式 跨線部:桁橋、跨道部:アーチ橋
全体の形式:クローバー橋
材料 跨線部:圧延、跨道部:レンガ
関連項目
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現在の宮城野橋は三代目である。都市計画道路元寺小路福室線を通すために架け替えられたもので、2013年(平成25年)から2017年(平成29年)にかけて順次、供用を開始した。

歴史

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江戸時代には、仙台城大手門前を西端とする大町新伝馬町、名掛丁二十人町が城下町を東西に貫く目抜き通りだった。また、名掛丁や二十人町の北には元寺小路鉄砲町の東西道路があった。1887年(明治20年)に、現在の東北本線の前身にあたる日本鉄道塩竈駅[注釈 2]まで開通すると、元寺小路と名掛丁は鉄道によって東西に分断され、踏切が設置された。

操車場の線路増設や、1920年代初頭の仙台駅付近での東北本線複線化などにより、踏切は「開かずの踏切」のような状態となった。1917年(大正6年)頃、踏切閉鎖と跨線橋設置の案が出された。反対運動もあったが、仙台城二の丸跡に本部を置く第二師団と、榴岡の歩兵第四連隊や宮城野原の練兵場との間を安定的に結ぶため、歩兵四連隊の強い要請によって宮城野橋は建設された。

1921年(大正10年)に開通[3][4][1]した初代の宮城野橋は、鋼拱橋(アーチ橋)で長さ30.8メートル、幅7.3メートルだった。仙台駅の東と西を繋ぐ重要路線であるため、当時としては高価なアスファルト舗装がなされた。当時の仙台市には舗装された一般道路が存在せず、宮城野橋の他には、旧奥州街道を通す広瀬川広瀬橋しか舗装道路はなかった[5]

昭和30年代に東北本線の電化が進められる中、桁下の空間が狭く東北本線の電化に支障があった宮城野橋は架け替えられることになった。架け替え工事は1960年(昭和35年)12月から行われ、1961年(昭和36年)3月に竣工した。この時、東北本線と並走する仙山線は試験路線として交流電化されていて、橋の架け替えは仙山線の饋電が停止された深夜に行われた。深夜作業ということで騒音に対する苦情が周辺住民から、また年末年始の商機に橋の架け替えで道路が通行止めにされたという苦情が商店会から寄せられ、工事担当者はこれの対応に苦心したという[6]。二代目の宮城野橋は、日本国有鉄道が発注したもので、橋の面積は1,260平方メートル、一等橋で20トンの耐荷重(活荷重)であり、櫻田機械工業がこれを施工した[7]

2010年代になると、宮城野橋は都市計画道路の元寺小路福室線を通す合計6車線、長さ193メートルの橋に架け替えられることになった。まず三代目の上り線が架設され、これが2013年(平成25年)10月31日に2車線にて供用を開始した[8]。二代目の橋は2014年(平成26年)7月10日未明に撤去され[3][4][9][10]、その跡地に建設された三代目の下り線は2017年(平成29年)3月26日に1車線で暫定的に供用を開始した[11][12]。中央分離帯の設置工事を経て、計6車線による完全供用開始は同年6月となった。

宮城野橋
開通 構造 長さ 地図
初代 1921年大正10年)[3][4] 鋼拱橋 030.8m 07.3m 西詰東詰
二代 1961年昭和36年)[3][4] 鋼箱桁構造[4] 029m[3][4] 09.7m[3][4] 西詰東詰
三代 下り線 2013年平成25年)[9][8] 3径間連続中空床版桁
合成床版桁(1径間)
5径間連続中空床版桁[13]
193m[13] 34.3m
(歩道4.5m×2)[13]
西詰東詰
上り線 2017年平成29年)[11][12] 西詰東詰

道路の分岐とX橋の通称

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1984年度(昭和59年度)撮影の国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
 
X橋の東部分。X橋の南西行き道路跡地に建設されたアエルの上層階から撮影(2008年9月)。

建設当初、宮城野橋の両端の取付道路は二方向へ分かれる形だった。橋を中心として、北西方向の道路は元寺小路(後に広瀬通)と、南西方向の道路は名掛丁と、北東方向の道路は鉄砲町と、南東方向の道路は二十人町と結ばれていた。四方と結ばれるこの橋は「X橋」と呼ばれるようになった[2]

モータリゼーションに合わせ、橋梁部は対面通行のまま、橋に至る取付道路には一方通行が導入された。自動車で橋を渡る場合、北西の元寺小路から橋に入って北東の鉄砲町に抜ける道筋と、南東の二十人町から橋に入って南西の名掛丁に抜ける二通りの道筋があった。

1990年代後半、橋の西側地区の再開発のために、橋と名掛丁(中央通り)を結ぶ南西方向の道路が廃止された。これと共に北西方向の道路が改修され、橋の西詰めからX橋交差点[注釈 3][14]まで曲線状に繋がる形になり、この区間は対面通行になった[注釈 4]。そのため、「y」の字を横にしたような形となったが、その後も「X橋」の通称は用いられた。また、仙台駅東第二土地区画整理事業[15]により、2010年(平成22年)2月15日以降、橋と鉄砲町を結ぶ北東方向の道路[注釈 5]が通行止めとなり、橋と二十人町を結ぶ南東方向の道路[注釈 6]が対面通行になった。これにより、橋の両側にあった分岐はなくなった。

橋の正式名称より通称の知名度の方が高かったため、橋の西側にある交差点の名称は「X橋交差点」となっている[注釈 3][14]。また、かつてこの付近を通っていた仙台市営バス宮城交通バス停留所の名称も「X橋」だった。ただし、二十人町と鉄砲町での一方通行規制のため、二十人町経由の上り線にのみX橋バス停は存在し、鉄砲町経由の下り線にはなかった。バス路線の廃止とともにX橋バス停も廃止された。

X橋を舞台とした作品・旧橋の遺構

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脚注

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注釈

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  1. ^ 仙台市道青葉1149号・鉄道東及鉄道西側名掛丁新道線(延長108.0メートル、最大幅員13.80メートル、最小幅員5.00メートル)
  2. ^ 現在の塩釜駅とは別の駅。
  3. ^ a b 宮城野橋交差点とも言う。広瀬通駅前通、X橋(仙台市道青葉1497号・元寺小路福室線)、ソララガーデン前を通る仙台市道青葉1223号・元寺小路2号線、仙台市道青葉1145号・末無掃部丁線が集まる変則六叉路
  4. ^ X橋交差点から橋の中点にある区境までのX橋は仙台市道青葉1497号・元寺小路福室線(最小幅員9.60メートル、最大幅員20.50メートル、延長197.6メートル)を通す。
  5. ^ 仙台市道宮城野1308号・鉄砲町名掛丁線(最小幅員7.43メートル、最大幅員15.40メートル、延長1118.5メートル)の一部。
  6. ^ 仙台市道宮城野1312号・二十人町線(最小幅員6.50メートル、最大幅員43.00メートル、延長1230.0メートル)

出典

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  1. ^ a b 『仙台市史』通史編7(近代2)113頁。
  2. ^ a b 仙台駅前X橋”(仙台メディアテーク)2019年10月6日閲覧。
  3. ^ a b c d e f 仙台駅北側の「宮城野橋」今夜から撤去 さよなら「X橋」惜しむ声産経新聞 2014年7月9日)
  4. ^ a b c d e f g 「X橋」見納め 9日深夜、クレーンで撤去河北新報 2014年7月6日)
  5. ^ 地方通信(「道路の改良」第8巻 第7号 大正15年7月発行)
  6. ^ 『昭和のX橋界隈』26頁。
  7. ^ 竣工プレートより。
  8. ^ a b 仙台・宮城野橋下り線完成 31日、上下1車線で開通 (河北新報 2013年10月25日)
  9. ^ a b X橋お疲れさま 役目終えた老橋に別れの涙雨(河北新報 2014年7月11日)
  10. ^ “バイバイ、X橋 未明にクレーンで撤去 仙台”. 河北新報. (2014年7月10日). http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201407/20140710_13042.html 2014年7月10日閲覧。 
  11. ^ a b <宮城野橋>東西つなぐ大動脈期待 河北新報(2017年3月26日)
  12. ^ a b 「X橋」宮城野橋が開通 仙台放送(2017年3月26日)
  13. ^ a b c 仙台市 契約議案を上程 宮城野橋(X橋)の架け替え 鉄道近接部を37.5億でJRに委託へ(2010年9月15日)
  14. ^ a b 仙台市自動車交通量調査/青葉区 X橋交差点(仙台市)
  15. ^ 仙台駅東第二土地区画整理事業(仙台市)

参考文献

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  • 庄子喜隆 新版『昭和のX橋界隈 あの頃の仙台の町並み』 2012年。
  • 仙台市史編さん委員会 『仙台市史』通史編7(近代2) 仙台市、2009年。

関連項目

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外部リンク

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