宮原義真
日本の江戸時代前期~中期の武士。江戸幕府旗本宮原義辰長男で、高家宮原氏4代当主(上総宮原氏6代当主)
宮原 義真(みやはら よしざね)は、江戸時代前期の高家旗本。左京[1]。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 慶安元年(1648年) |
死没 | 元禄3年(1690年)8月16日 |
戒名 | 了悟 |
官位 | 左京 |
幕府 | 江戸幕府 |
氏族 | 宮原氏 |
父母 | 父:宮原義辰、母:織田信当娘 |
兄弟 | 義真、喜連川氏春、女子(杉浦政令妻) |
妻 | 不明 |
子 | 氏義、女子(小堀政因妻) |
略歴
編集万治3年(1660年)12月25日、13歳のとき、将軍徳川家綱に初めて御目見する[1]。寛文9年(1669年)12月12日、家督を相続する[1]。
家族
編集父母
兄弟姉妹
- 宮原義真
- 喜連川氏春
- 女子 - 杉浦政令の妻
妻
- 不明
子
- 女子 - 小堀政因の妻
養子
- 宮原氏義 - 杉浦政令の五男。母は義辰の娘
脚注
編集参考文献
編集- 「巻第七十八 義家流 足利支流 宮原」『寛政重脩諸家譜』 第一輯、國民圖書、1922年12月18日 。