宮下健一郎

日本の陸軍軍人

宮下 健一郎(みやした けんいちろう、1892年(明治25年)3月17日 - 1959年(昭和34年)5月4日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

宮下 健一郎
生誕 1892年3月17日
日本の旗 日本 山形県
死没 (1959-05-04) 1959年5月4日(67歳没)
所属組織 日本陸軍
軍歴 1915 - 1945
最終階級 陸軍中将
テンプレートを表示

経歴

編集

1892年(明治25年)、宮下民雄の長男として山形県米沢市に生まれる。1915年(大正4年)5月、陸軍士官学校(27期)を卒業。1927年(昭和2年)12月、陸軍大学校(39期)を卒業した。

1938年(昭和13年)、陸軍歩兵大佐に昇進。1941年(昭和16年)、陸軍少将に進級。1943年(昭和18年)6月、第32歩兵団長に就任し太平洋戦争に出征、中国で従軍した。独立歩兵第1旅団長、第1国境守備隊長を経て、1945年(昭和20年)3月、陸軍中将に進み、翌月、第157師団長に着任し、青森県三本木(現在の十和田市)で本土決戦に備えたが、交戦することなく終戦を迎えた。

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[1]

栄典

編集

親族

編集

脚注

編集
  1. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」84頁。
  2. ^ 『官報』第5654号「叙任及辞令」1945年11月15日。

参考文献

編集
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。