宣王 (楚)
宣王(せんおう)は、中国の戦国時代の楚の王。姓は羋、氏は熊。諱は良夫。悼王の子。紀元前370年、兄の粛王が死去すると、後を嗣いで楚王となった。威王の父。
宣王 熊良夫 | |
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楚 | |
第19代王 | |
王朝 | 楚 |
在位期間 | 前370年 - 前340年 |
都城 | 郢 |
姓・諱 | 熊良夫 |
諡号 | 宣王 |
生年 | 不詳 |
没年 | 宣王30年(前340年) |
父 | 悼王 |
生涯
編集宣王17年(紀元前353年)、魏が趙の邯鄲を攻撃したため、趙は楚の援軍を求めた。楚の令尹の昭奚恤は軍の派遣に反対したが、宣王は景舎の意見を容れて出兵を決めた。景舎に軍を率いさせて出兵させると、趙の邯鄲は魏軍に攻め落とされたものの、楚軍は睢水と澮水のあいだの地を魏から奪うことができた。ときに昭奚恤は楚の権臣として勢威を振るったが、江乙は昭奚恤を憎み、宣王に昭奚恤を憎ませようと、たびたび画策した。宣王29年(紀元前341年)、斉の田忌が斉の相の鄒忌に憎まれて、楚に亡命してきた。
宣王30年(紀元前340年)、宣王は薨去した。在位30年。
参考文献
編集
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