客卿(かくけい)は、中国戦国時代で用いられた古代の官名の一つ。他国の者でありながら秦の高官の地位に就いた者に与えられた官名であり、位置的には左庶長と同等であったとされる[1][2][3][4][5]

脚注

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  1. ^ 『商君書境内』:故爵公士也,就為上造也;故爵上造,就為簪裊、就為不更;故爵為大夫,爵吏而為県尉,則賜虜六,加五千六百,爵大夫而為国治,就為(官)大夫;故爵(官)大夫,就為公大夫、就為公乗、就為五大夫,賜税邑三百家;故爵五大夫,皆有賜邑三百家,有賜税三百家爵五大夫、有税邑六百家者,受客卿(左庶長),大将、御、参皆賜爵三級;故客卿相(左庶長),論盈,就正卿就為大庶長(右庶長);故大庶長(右庶長),就為左更;故四更(左更、中更、右更、少上造)也,就為大良造(大上造)。
  2. ^ 『史記』巻七十二・穣侯列伝第十二:昭王十五年、又取楚之宛・葉。魏冄謝病免相、以客卿燭寿為相
  3. ^ 『水経注』済水一:済水又東逕秦相魏冄家南,冄,秦宣太后弟也,代客卿燭寿為相。
  4. ^ 『戦国策』秦策三:秦昭王召見(燕人蔡沢)与語,大悦之,拜為客卿
  5. ^ 『資治通鑑』顕王三十六年:儀得見秦王。秦王悦之,以為客卿。胡三省注:秦有客卿之官,以待自諸侯来者,其位為卿而以客礼待之也。

参考文献

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