宝立町宗玄
宝立町宗玄(ほうりゅうまちそうげん)は、石川県珠洲市宝立地区の地名。
宝立町宗玄 | |
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町 | |
北緯37度22分32.0秒 東経137度14分05.6秒 / 北緯37.375556度 東経137.234889度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 石川県 |
市町村 | 珠洲市 |
地区 | 宝立地区 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
927-1225[1] |
市外局番 | 0768 [2] |
ナンバープレート | 石川 |
地理
編集珠洲市沿岸部の南端に位置する。町域の北端を船橋川が流れ、宝立町鵜島、宝立町南黒丸、宝立町馬渡、南は鳳珠郡能登町恋路に接する[3]。
- 河川:船橋川
歴史
編集町名の由来
編集検地が行われていた時代、当地を所有していた地主(当地では「オヤッサマ」と呼ばれる)の姓「宗玄」から(なお「黒丸」や「鵜島」も同様)[4]。
宗玄村に、則宗玄忠左衛門と云古き百姓あり。此者故ありて宗玄の名あり。—『能登名跡志』[5]
沿革
編集交通
編集鉄道路線
編集のと鉄道能登線が通過していたが、2005年(平成17年)に廃止。
道路
編集バス
編集「本鵜島」、「宗玄」バス停留所があり[3]、北鉄奥能登バス・宇出津珠洲-A(珠洲鉢ヶ崎 - 鵜飼駅前 - 小木町 - 能登町役場前 - 能登高校南)、宇出津珠洲-B(珠洲鉢ヶ崎 - 鵜飼駅前 - 十八束 - 能登町役場前 - 能登高校南)系統が運行されている。本鵜島には珠洲宇出津特急線(金沢駅 - 医大病院 - 穴水駅前 - 小木 - すずなり館前)も停車する[8]。
教育
編集珠洲市立宝立小中学校の通学区域[9]。
防災
編集最大5メートルの津波が3 - 24分で到達すると想定されており、避難場所として市道61号線(稲荷神社裏山、標高53.9メートル)、国道249号(松波鵜島バイパスA - D、標高30メートル前後)が指定されている[10]。
経済
編集名所・旧跡・観光スポット
編集祭事・催事
編集脚注
編集- ^ “宝立町宗玄の郵便番号”. 日本郵便. 2024年1月16日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省 (2022年3月1日). 2024年1月16日閲覧。
- ^ a b c “石川県珠洲市宝立町宗玄の地図”. Mapion. ONE COMPATH. 2024年1月16日閲覧。
- ^ 西本陽一 2015, p. 3.
- ^ 『能登名跡志』, 1931年, 58頁。
- ^ “町の区域”. 珠洲市 (1990年1月1日). 2024年1月16日閲覧。
- ^ a b “〈1.1大震災~連載ルポ〉再び被災「来年はいい酒を」珠洲・蛸島の造り酒屋大打撃”. 北國新聞DIGITAL (北國新聞社). (2024年1月13日) 2024年1月16日閲覧。
- ^ “路線バス情報 路線図”. 北陸鉄道. 2024年1月16日閲覧。
- ^ “珠洲市立学校の通学区域に関する規則”. 珠洲市 (2016年4月1日). 2024年1月16日閲覧。
- ^ “津波ハザードマップ”. 珠洲市 (2022年1月17日). 2024年1月16日閲覧。
- ^ “日吉神社”. 石川県神社庁. 2024年1月16日閲覧。
参考文献
編集- 西本陽一「地区の概要」『金沢大学文化人類学研究室調査実習報告書』第30巻、金沢大学、2015年、1-12頁、NAID 120005593975。
- 太田頼資 著、日置謙 編『能登名跡志』石川県図書館協会、1931年、58-59頁 。