宝尋常高等小学校
北海道函館市にあった旧制小学校
宝尋常高等小学校(たからじんじょうこうとうしょうがっこう)とは、北海道函館市にかつてあった公立小学校である。
公立宝尋常高等小学校 | |
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![]() 1910年ごろの校舎 | |
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過去の名称 |
公立宝学校 公立弥生小学校宝分校 公立宝小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設立年月日 | 1878年(明治11年)6月13日 |
閉校年月日 | 1937年(昭和12年)3月31日 |
所在地 | 〒必須項目 |
北海道函館市宝町33 | |
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概要
編集北海道開拓初期に設置された近代教育機関の一つである。函館の中心からやや離れていたことで火災の影響が少なく、規模も大きかったため、函館の学校教育の要となり[1]、20世紀初頭には全国的な有名校となった[2]。
沿革
編集特記なきものは『函館教育年表』による[3]。
- 1878年(明治11年) - 公立宝学校として設立。6月13日布達、7月10日開業式。
- 1883年(明治16年) - 明治13年教育令の施行にともない公立宝小学校と改称、初等・中等・高等の全科併設校となる。[4]
- 1887年(明治20年)7月1日 - 公立弥生小学校宝分校となる。[注釈 1]
- 1890年(明治23年)1月 - 公立宝小学校として独立。
- 1895年(明治28年)4月 - 明治23年小学校令の施行により公立宝尋常高等小学校に改称。[注釈 2]
- 1897年(明治30年)10月2日 - 校舎改築竣工。
- 1903年(明治36年)6月9日 - 2部教授の認可。
- 1905年(明治38年)7月1日 - 公立宝補習夜学校を附置。
- 1907年(明治40年)8月25日 - 大火により校舎焼失。東川尋常小学校へ収容。
- 1908年(明治41年)9月1日 - 新築校舎落成。(2月11日より一部校舎落成により移転、4月1日に補習夜学校を再開)
- 1909年(明治42年)7月13日 - 屋内運動場落成。
- 1911年(明治44年)3月23日 - 補習夜学校を閉鎖。
- 1926年(大正15年)7月1日 - 函館市立宝青年訓練所を開設(校舎焼失中の1935年に青年学校へ改組)
- 1932年(昭和7年) - 欠食児童へ弁当が配給されるようになる(函館共働宿泊所[注釈 3]請負)[9]。
- 1934年(昭和9年)3月21日 - 函館大火により校舎焼失。弥生女子尋常小学校へ収容。
- 1936年(昭和11年)1月9日 - 住吉尋常小学校(1月11日に青柳尋常小学校に改称)へ収容替え。9月9日に統合新校舎へ移転。
- 1937年(昭和12年)3月31日 - 高等科を廃止し、公立第二東川尋常小学校とともに新設の公立東川尋常小学校に統合される。[注釈 4]
所在地
編集北海道函館市宝町33(現在の豊川町3から宝来町34にかけて)
函館市女性センター(東川町11-12)の敷地に校章校歌が刻まれた跡地の碑があるが、実際の跡地は道路を挟んで向かい側である。
関係者
編集出身者
編集教職員
編集脚注
編集注釈
編集- ^ 学校経費節減のため北海道庁から高等科の大幅削減(道内で3校のみ)が通達され[5]、高等科併置とされた弥生小学校の分校とすることで高等科を維持した[6]。
- ^ 明治23年小学校令は市制町村制施行が前提のため施行されていなかったが、市制町村制ヲ施行セサル地方ノ小学教育規程(明治25年勅令第40号)により1895年度から施行されることになった。[7]
- ^ 貧窮者救済を目的とした団体で無料宿泊や職業紹介を実施していた。現在は社会福祉法人として障害者向け救護施設を運営。[8]
- ^ 従前の東川尋常小学校は同日に高砂尋常小学校と統合して大森尋常小学校となった[3]。両校は2002年に函館市立あさひ小学校となった。
出典
編集- ^ 「全科併設校」『函館市史 通説篇』 2巻、1225-1227頁 。
- ^ a b 北海道立教育研究所 編「長尾 含」『北海道教育史』 全道編四、北海道教育委員会、1964年、768-770頁。NDLJP:3039912/1/438。
- ^ a b 神山茂 編『函館教育年表』(2版)函館教育会、1938年。NDLJP:1074376。
- ^ 「改正「教育令」の実施」『函館市史 通説篇』 2巻、1224-1225頁 。
- ^ 「「小学校令」と北海道」『函館市史 通説篇』 2巻、1229-1231頁 。
- ^ 「区内小学校の等科規定」『函館市史 通説篇』 2巻、1233-1235頁 。
- ^ 「第2次「小学校令」と北海道」『函館市史 通説篇』 2巻、1235-1236頁 。
- ^ “社会福祉法人 函館共働宿泊所”. 2025年2月9日閲覧。
- ^ 「欠食児童」『函館市史 通説篇』 3巻、669-672頁 。
- ^ 「はこだて人物誌『木戸新太郎』」『ステップアップ』、函館市文化・スポーツ振興財団、1998年3月、2025年1月25日閲覧。
- ^ 大島幹雄. “エッセイ 神彰と函館 前編”. デラシネ通信. 2025年1月25日閲覧。
- ^ 「はこだて人物誌『梁川剛一』」『ステップアップ』、函館市文化・スポーツ振興財団、1993年1月、2025年1月25日閲覧。
- ^ 『函館市功労者小伝』函館市、1935年、57頁。NDLJP:1225527/1/37。
- ^ 貞光威 (2004-03-15). “石川啄木をめぐる人々考”. 岐阜聖徳学園大学国語国文学 23: 1-99. NAID 110004707825 .