宝塚歌劇団26期生(たからづかかげきだん26きせい)とは、1936年(昭和11年)に宝塚歌劇団(当時の名称は宝塚音楽歌劇学校/宝塚少女歌劇団[注釈 1])に入団し、1937年(昭和12年)もしくは1938年(昭和13年)に初舞台を踏んだ98人を指す[2]


概要

編集

初舞台公演演目は1937年の初舞台生は雪組公演『ハワイ・ニューヨーク』、花組公演『寶石パレード』、月組公演『たからじぇんぬ』のいずれかで、1938年は星組公演『満洲から北支へ』(一部の生徒は『忘れじの歌』にも出演)である[2]摩耶道子雪城美沙子の初舞台公演演目は『ハワイ・ニューヨーク』で[3]潮路かすみの初舞台公演演目は花組公演『寶石パレード』である[4]

この期には女優黒木ひかる、元花組星組組長淡路通子、元月組・花組組長の畷克美、元星組組長水原節子のほか代々木ゆかりらが入団。

一覧

編集

入団時の成績順にまとめている[5]

1937年初舞台

編集
芸名[2] 読み仮名[2] 誕生日 出身地 出身校 芸名の由来 愛称 役柄 退団年[2] 備考
葉山繁 はやま しげる 茨城県水戸市[6] 新古今和歌集源重之の『筑波山 端山茂山 しげけれど 思ひ入るには さはらざりけり』から伯父が命名[7] 1945年
虹麗子 にじ れいこ 大阪府[6] 虹、蒼穹に浮かんだ七彩のアーチ華やかに麗しく、然もつゝましげな優美さ[7] フーちゃん
トヰサン
1943年
九州美博子 くすみ ひろこ 九州の博多生まれということで家族が命名した後に、「美」を自ら追加した[7] ナカ 1940年
水原蓮子 みずはら れんこ 4月3日 北海道小樽市 小樽高等女学校 澄み渡った水に蓮の花が浮かんでいる光景-その清らかさが何時迄も続く様に、および日蓮上人の御守を受けることを望んで命名[7] タマエちゃん 男役 1963年 改名後・水原節子(みずはら せつこ)[2]
日本舞踊講師
摩耶道子 まや みちこ 4月9日 東京都 釈迦と同じ誕生月であることから、釈迦の母・摩耶夫人と本名から命名[7] 1940年
櫻山耀子 さくらやま ようこ 実姉が命名[8][7] 1941年
白峯比良子 しらみね ひらこ 1月30日[9] 滋賀県大津市[9] 滋賀県立大津高等女学校[9] 木のべ[9] 1947年 改名後・大見不二子(おおみ ふじこ)[2]
龍見昇 たつみ のぼる 『土地龍王』と書かれた提灯を見て考案した芸名を引田一郎が採用[7] 1940年
羽衣榮津 はごろも えつ 1945年
上里文子 うえさと ふみこ 本名の文字を使用して友人が命名[7] 1939年
夕波ちどり ゆうなみ ちどり 北海道[10] 吉屋信子が命名[7] サコちゃん[11] 1945年
百木そのふ ももき そのふ 万葉集から大伴書持の『御園生の百木の梅の散る花の天に飛び上り雪と降りけむ』から音楽学校が命名[7] 1939年
小車しのぶ おぐるま しのぶ 11月17日 謡曲『羽衣』から友人が命名[7] 1947年
峯高美 みね たかみ 『自分の好きな峰の様に高く美しく藝を磨いて行く様に。』と母親が命名[7] 1944年 改名後・峯夕美子(みね ゆみこ)[2]
三津まもる みつ まもる 氏神様の三津神社に守っていただく様に[7] 1944年
千羽眞木子 せんば まきこ 京都府[12] 実母が命名[7] 1941年
田毎かつら たごと かつら 1942年
東町友恵 ひがしまち ともえ 青山学院高等女学部 東京を表す東町と、同志を友とし仁愛の道を以って進むの意味の友恵を組み合わせて父親が命名[7] マキノ[9]
ヤッちゃん
男役 1945年
巨勢つばき こせ つばき 万葉集の『巨勢山の つらつら椿 つらつらに 見つつ偲はな 巨勢の春野を』から引田一郎が命名[7]   男役 1944年 改名後・呉竹陽子(くれたけ ようこ)[2]
雲上龍子 くものえ たつこ 12月17日 大阪府 本名を用いて家族が命名[7] 1943年 改名後・雲邊龍子(くもべ たつこ)[2]
野々村吹雪 ののむら ふぶき 与謝蕪村の『宿貸せと刀投げ出す吹雪哉』と吹雪に野原で遭遇したと想像して命名[7] 1939年
雪城美沙子 ゆきしろ みさこ 10月20日 兵庫県宝塚市 平井房人が命名[7] ツーコ 娘役 1950年 バレエダンサー
バレエ指導者・加美早苗
櫻路陽子 さくらじ ようこ 10月23日[11] 愛知県豊橋市[6] 豊橋市立高等女学校[11] ヒョウちゃん[6] 1940年
双葉由利 ふたば ゆり 6月15日[13] 大阪府大阪市[13] 大谷高等女学校[13] ニシしゃん[8] 1940年
瑞木千枝 みずき ちえ 1946年
水門眞砂子 みと まさこ 1940年
富士川みはる ふじかわ みはる 宝塚音楽学校で命名[7] 1941年
千晴千代子 ちはる ちよこ 1942年
江美那智子 えみ なちこ 10月4日[13] 東京都[13] ウヰルミナ女学校[13] 1939年 改名後・江南那智子(えなみ なちこ)[2]
千峯瀧子 ちみね たきこ 1939年 改名後・千峯滝子(ちみね たきこ)[2]
伊勢渚 いせ なぎさ 中華民国青島市[6] 娘役 1941年
豊瑞穂 ゆたか みずほ 1947年
青葉美登里 あおば みどり 1940年
菊水鈴子 きくみず すずこ 1944年
小島磯子 こじま いそこ 1947年
園田聖子 そのだ せいこ 1940年
美奈川あきら みながわ あきら 1940年
三重はるみ みえ はるみ 1940年
葉室水代 はむろ みなよ 家族が命名[14] ナンちゃん[14] 1939年
御民由貴子 みたみ[13] ゆきこ 7月12日[13] 兵庫県芦屋市[13] 松蔭高等女学校[13] ミヨちゃん[12] 1941年
高殿都 たかどの みやこ 1940年
美園いさみ みその いさみ 1940年
琵琶みこと びわ みこと 枕草子から宝塚音楽学校で命名[7] 1940年 改名後・琵琶みやこ(びわ みやこ)[2]
南城美千世 なんじょう みちよ 4月11日 愛媛県松山市 ミー坊 1944年
紅玉美 くれない たまみ 6月21日[14] 東京都青梅市[14] 東京府立第九高等女學校[4] 1944年
城戸雅代 きど まさよ 1944年
丘映子 おか えいこ 兵庫県神戸市 モッちゃん 1944年 「パルマ美容室」(東京都渋谷区)経営
橋立美子 はしだて よしこ 1944年
新高美樹子 にいたか みきこ 1944年
潮路かすみ しおじ かすみ 2月4日[4] 男役 1941年
有馬榮子 ありま えいこ 1945年
鈴丘笙子 すずおか しょうこ 4月11日 大阪府 新羅三郎の足柄山訣別の故事 クボちゃん 1953年
巴美保子 ともえ みほこ 3月14日 大阪府 樟蔭高等女学校 娘役 1945年 夫は高千穂交易創業社長・鍵谷武雄
盾津郷子 たてつ さとこ 1943年
秋月妙子 あきづき たえこ 1940年
磯路明美 いそじ あけみ 1946年 改名後・春里明美(はるさと あけみ)[2]
稚乃宮匂子 ちのみや におこ 3月19日[4] 稻さん[4] 1944年 改名後・稚之花匂子(ちのはな におこ)[2]
夫は梅田コマ劇場社長を務めた伊藤邦輔
白羽通子 しらは みちこ 1944年
神風五十鈴 かみかぜ いすず 1945年 改名後・朝風いすヾ(あさかぜ いすず)[2]
美南久瑠壽 みなみ くるす 1940年
光明子 ひかり あきこ 1940年
千草順子 ちぐさ じゅんこ 1946年
扇町華子 おうぎまち はなこ ベッちゃん 1943年 改名後・扇華子(おうぎ はなこ)[2]
不二令子 ふじ れいこ 1941年
畷克美 なわて かつみ 1月19日 大阪府大阪市 四条畷に因む ウエさん 娘役 1963年
草香みゆき くさか みゆき 1944年
香月照子 かづき てるこ 福井県敦賀市 1943年
梓弓子 あずさ ゆみこ 知人が考案[15] 1938年
稲葉明子 いなば あきこ 1938年
宇佐美圭子 うさみ けいこ 1938年
雲邊美禰子 くもべ みねこ 1938年
白良まこと しらら まこと 1938年
はるな不二子 はるな ふじこ 1946年 改名後・榛名不二子(はるな ふじこ)[2]
夢野千枝子 ゆめの ちえこ 1938年

1938年初舞台

編集
芸名[2] 読み仮名[2] 誕生日 出身地 出身校 芸名の由来 愛称 役柄 退団年[2] 備考
秋田いほり あきた いほり 1940年
花園真咲 はなぞの まさき 1940年
黒木ひかる くろき ひかる 3月12日 東京都 阿倍野高等女学校 父親が命名 アンナ
モトさん
アナちゃん
男役 1969年 俳優
夫は俳優の曾我廼家明蝶
三室潤子 みむろ じゅんこ 1940年
淡路通子 あわじ みちこ 2月28日[16] 兵庫県宝塚市[16] 宝塚 百人一首 おふくちゃん[16]
おふくろさん
娘役 1984年 宝塚歌劇団演技講師
五色丸和子 ごしきまる かずこ 1943年
千賀陽子 ちが ようこ 1940年
高輪三津子 たかなわ みつこ 1943年
高山登 たかやま のぼる 1942年
月春子 つき はるこ 1944年
代々木ゆかり よよぎ ゆかり 1944年 夫は元読売ジャイアンツ監督の川上哲治[17]
息子は川上貴光(作家)
伯母は高砂松子神代錦[18]
千早成子 ちはや せいこ 1940年
櫻川綾子 さくらがわ あやこ 1940年
雲路浪子 くもじ なみこ 1939年 在団中に死去[19]
興津園子 おきつ そのこ 1940年
一宮芳香 いちのみや よしか 1938年
音羽菊美 おとわ きくみ 3月1日 香川県仲多度郡多度津町 男役 1938年
神守勝子 かみもり かつこ 1944年 改名後・桂圭子(かつら けいこ)[2]
大御代嘉子 おおみよ としこ 東京都[12] マツ[12] 1944年 改名後・佳川陽子(かがわ ようこ)[2]
摂津文子 せっつ ふみこ 1940年
月城峰子 つきしろ みねこ 1941年
波江輝子 なみえ てるこ 1938年
春海久子 はるみ ひさこ 1938年
吉水法子 よしみず のりこ 1941年

脚注

編集

注釈

編集
  1. ^ 1939年に分離されるまで学校と劇団は一体的に運営されており、入学イコール入団であった[1]

出典

編集
  1. ^ 90年史 2004, p. 180.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 100年史(人物) 2014, p. 30.
  3. ^ 『宝塚小夜曲』丸尾長顕著、ポプラ社、1950年2月20日、p.231
  4. ^ a b c d e 『エスエス』、東宝発行所、1939年1月号
  5. ^ 100年史(人物) 2014, p. 5.
  6. ^ a b c d e 『歌劇』、宝塚少女歌劇団、1938年5月、218号
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 『宝塚少女歌劇脚本集(附録)宝塚春秋』、宝塚少女歌劇団、1938年2月1日、206号
  8. ^ a b 『エスエス』、東宝発行所、1939年10月号
  9. ^ a b c d e 『エスエス』、東宝発行所、1939年9月号
  10. ^ 『エスエス』、東宝発行所、1939年11月号
  11. ^ a b c 『エスエス』、東宝発行所、1939年7月号
  12. ^ a b c d 『エスエス』、東宝発行所、1939年3月号
  13. ^ a b c d e f g h i j 『エスエス』、東宝発行所、1938年7月号
  14. ^ a b c d 『エスエス』、東宝発行所、1939年5月号
  15. ^ 『エスエス』、東宝発行所、1938年6月号
  16. ^ a b c 「舞台を色どる人々」『おお宝塚60年―「ドンブラコ」から「ベルばら」まで』朝日新聞社、1976年11月30日、242頁。 
  17. ^ 高木史朗「宝塚美男美女伝(1)羽根扇を持った蝶々たち」『おお宝塚60年―「ドンブラコ」から「ベルばら」まで』朝日新聞社、1976年11月30日、76頁。 
  18. ^ 高木史朗「宝塚美男美女伝(2)燕尾服を着た妖精たち」『おお宝塚60年―「ドンブラコ」から「ベルばら」まで』朝日新聞社、1976年11月30日、82頁。 
  19. ^ 100年史(人物) 2014, p. 76.

参考文献

編集
  • 執筆:國眼隆一 著、編集:森照実・春馬誉貴子・相井美由紀・山本久美子 編『すみれ花歳月を重ねて―宝塚歌劇90年史―』宝塚歌劇団、2004年4月1日。ISBN 4-484-04601-6NCID BA66869802全国書誌番号:20613764 
  • 監修・著作権者:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡りつづけて(人物編)』阪急コミュニケーションズ、2014年4月1日。ISBN 978-4-484-14601-0