宝塚市立長尾台小学校
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宝塚市立長尾台小学校(たからづかしりつ ながおだいしょうがっこう)は、兵庫県宝塚市長尾台一丁目にある公立小学校。 なお宝塚市内では正式に同市名の「塚」に画数の1画多い旧字体「塚」を用いる。
宝塚市立長尾台小学校 | |
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北緯34度50分04秒 東経135度23分59秒 / 北緯34.834472度 東経135.399722度座標: 北緯34度50分04秒 東経135度23分59秒 / 北緯34.834472度 東経135.399722度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 宝塚市 |
設立年月日 | 昭和52年(1977年)4月1日 |
創立記念日 | 6月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B128210002845 |
所在地 | 〒665-0807 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
概要
編集宝塚市内で最も東に位置し、宝塚市内に加え、川西市飛地である満願寺町(満願寺周辺)からの通学が可能である。
標高173メートルの高台に位置し、東方に大阪平野(北摂)を一望できる。校地面積は市内最大の37524平方メートルであり、自然環境に富んでいる。
本校前の道路は国道176号より分岐し、満願寺方面へ至っている。道路の向かい側には宝塚大学宝塚キャンパス(旧・宝塚造形芸術大学)がある。
沿革
編集経緯
編集雲雀丘山側の地域で住宅開発が進み、人口が著しく増加した。元々は長尾小学校の校区であったが、通学距離が長い上、学級人数が増加したため、市立小学校設置の必要性が高まった。これを受け、宝塚市は長尾小学校より本校を分離開校した。
年表
編集- 昭和52年(1977年)4月1日 開校
- 昭和52年(1977年)5月31日 長尾小学校とお別れ会
- 昭和52年(1977年)6月1日 創立記念日制定
- 昭和53年(1978年)2月18日 校歌制定
- 昭和53年(1978年)10月3日 花壇コンクール審査(宝塚市長賞)
- 昭和54年(1979年)11月30日 花壇コンクール優良校
- 昭和55年(1980年)8月14日 観察池工事完了
- 昭和55年(1980年)11月25日 兵庫県民花壇コンクール最優秀賞受賞
- 昭和61年(1986年)6月5日 創立10周年記念集会
- 平成2年(1990年)3月 体育倉庫改築・校地緑化工事
- 平成4年(1992年)8月 保健室移転・ランチルーム改装
- 平成5年(1993年)8月 多目的ルーム・和室改装
- 平成6年(1994年)4月1日 障害児学級(ひまわり)新設
- 平成7年(1995年)1月17日 兵庫県南部地震発生(阪神・淡路大震災)
- 平成8年(1996年)7月6日 創立20周年記念行事
- 平成10年(1998年)5月 プール改装
- 平成11年(1999年)9月 教育用コンピュータ導入
- 平成12年(2000年)6月 図書ボランティア発足
- 平成12年(2000年)11月 エレベーター新設
- 平成13年(2001年)3月 正門改装
- 平成17年(2005年)8月 南館校舎改装
- 平成18年(2006年) 北館・特別棟改装(改築)
- 平成18年(2006年)11月7日 創立30周年記念行事
- 平成19年(2007年)4月 小学校国際理解推進モデル事業
象徴
編集校章
編集校章はつつじの花を基に、丸型に施された「長尾台」の文字が中に描かれている。つつじの花は同時に元気な児童を表現し、校名を中心として空間は平和を表している。また、つつじの花の五弁のつながりは強い団結と友情を表している。
校歌
編集長尾台小学校 校歌は清島芳郎の作詞、側島昌子の作曲であり、1番から3番まで存在する。全3番とも末尾のフレーズは「われらが学舎 長尾台」で共通している。本校の豊かな自然環境が歌われている。
アクセス
編集バス
編集阪急バス(満願寺線)長尾台停留所が本校より北西へ80メートルにある。 本路線は伊丹営業所が管轄し、150系統がJR川西池田、川西バスターミナル或いはパルティ川西前(川西能勢口駅)と雲雀丘花屋敷駅前、愛宕原ゴルフ場前を結ぶ。尚、川西能勢口駅に連絡する停留所は行先により異なり、愛宕原ゴルフ場前行きは川西バスターミナルであるが、JR川西池田行きはパルティ川西前である。
鉄道
編集校区
編集長尾台小学校区は宝塚市切畑長尾山、長尾台1・2丁目、花屋敷松ガ丘、花屋敷つつじガ丘、花屋敷荘園1~4丁目、ふじガ丘、雲雀丘山手1・2丁目、雲雀丘1~4丁目、花屋敷緑ガ丘、川西市満願寺町である。