- ^ 得宗家は本来ならば将軍の下で一御家人という立場にありながら、烏帽子親関係による一字付与を利用して、他の有力御家人を統制したことが指摘されており[3] 、北条高時の代には「得宗→御家人」という図式で「高」の字が下賜されていたという見解がある[4] 。
- ^ 『太平記』巻第10「高時幷一門以下於東勝寺自害事」に見られる安達氏の自害者は、「城介高量」(兄・高景の誤記か)・「同式部大夫顕高」・「同美濃守高茂」(父・時顕の従兄弟[6])・「秋田城介入道延明」(父・時顕)である。
- ^ 『尊卑分脉』。
- ^ 『尊卑分脉』、『太平記』巻第10「高時幷一門以下於東勝寺自害事」。
- ^ 紺戸淳「武家社会における加冠と一字付与の政治性について」『中央史学』2号、1979年。
- ^ 角田朋彦「偏諱の話」『段かづら』三・四、2004年。
- ^ 『尊卑分脉』