安藤国近
安藤 国近(あんどう くにちか)は、江戸時代中期の武士。美作国津山藩の家老。松平忠直の曾孫で結城秀康の玄孫。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元禄5年12月10日(1693年1月15日) |
死没 | 享保9年8月9日(1724年9月25日) |
改名 | 松平亀之助(幼名)→安藤国近 |
別名 | 通称:斎宮→嘉藤治→主殿 |
主君 | 松平宣富→浅五郎 |
藩 | 美作津山藩家老 |
氏族 | 越前松平宗家→安藤氏 |
父母 |
父:松平綱国 養父:安藤之常 |
子 | 近倫、豊子(池田政純室) |
略歴
編集元禄5年(1693年)12月10日、松平綱国の子として江戸柳原邸にて誕生。幼名は亀之助。家老・安藤之常に養育され元禄9年(1696年)8月28日に安藤姓を称した。
宝永2年(1705年)1月12日、通称を嘉藤治に改める。宝永3年(1706年)11月27日に元服する。 宝永7年(1710年)10月、疱瘡に罹る。同年12月16日、家老職を命じられる。享保9年(1724年)8月9日、父に先立ち死去した。[1]
家督は嫡男・近倫(造酒助)が相続した。父更山(綱国)の養女となった娘は、享保12年(1727年)4月5日に岡山藩家老池田政純(岡山藩主池田継政の同母弟)に嫁いだ。[2]
子孫は代々津山藩に家老として仕え、近倫の養子国睦(造酒助)が安永2年(1773年)安藤から永見氏に改め、その後は国保(駿河)、国誠(小刑部)と続き、明治3年(1870年)国忠(丹波)の代に松平に復姓した。[3]
系譜
編集出典
編集参考文献
編集- 東京大学史料編纂所「津山藩日記」
- デジタル岡山大百科 | 郷土情報ネットワーク - 【池田老臣累記】
- 小山健三著「作州からみた明治百年」