安曇 石成(あずみ の いわなり、生没年不詳)は、奈良時代の貴族。姓は宿禰。官位は従五位上・若狭守。
淳仁朝の天平宝字5年(761年)藤原辛加知・石川弟人・佐味伊与麻呂らとともに従五位下に叙爵する。天平宝字8年(764年)に発生した藤原仲麻呂の乱における動静は不明。
称徳朝の神護景雲2年(768年)若狭守に任じられ、光仁朝の宝亀3年(772年)従五位上に至る。
『続日本紀』による。