安慶府(あんけいふ)は、中国にかつて存在した宋代から民国初年にかけて、現在の安徽省安慶市一帯に設置された。

安徽省の安慶府の位置(1820年)

概要

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1147年紹興17年)、南宋により舒州安慶軍と改められた。1195年慶元元年)、安慶軍は安慶府に昇格した。安慶府は淮南西路に属し、懐寧桐城太湖宿松望江の5県と同安監を管轄した[1]

1276年至元13年)、により安慶府は安慶安撫司と改められた。1277年(至元14年)、安慶安撫司は安慶路総管府と改められた。安慶路は河南江北等処行中書省に属し、録事司と懐寧・桐城・潜山・太湖・宿松・望江の6県を管轄した[2]1361年朱元璋により安慶路は安慶府と改められた。

のとき、安慶府は南直隷に属し、懐寧・桐城・潜山・太湖・宿松・望江の6県を管轄した[3]

のとき、安慶府は安徽省に属し、懐寧・桐城・潜山・太湖・宿松・望江の6県を管轄した[4]

1913年中華民国により安慶府は廃止された。

脚注

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  1. ^ 宋史』地理志四
  2. ^ 元史』地理志二
  3. ^ 明史』地理志一
  4. ^ 清史稿』地理志六