守屋和郎
日本の外交官
守屋 和郎(もりや わろう、明治26年(1893年) - 昭和52年(1977年))は、日本の外交官。元駐アフガニスタン公使[1]。
経歴
編集宮城県遠田郡富永村(のち古川市、現大崎市)出身[2]。守屋徳郎の三男[2]。旧制古川中学(現宮城県古川高等学校)卒業。旧制二高を経て[2]、
大正6年(1917年)東京帝大法科を卒業し逓信省に勤務の後関東庁参事官に転じ次いで外務省事務官となる[3]。
英国在勤大使館二等書記官同一等書記官[3]。中華民国在勤公使館一等書記官福州総領事大使館一等書記官大使館参事官満州国在勤を歴任し昭和13年(1938年)特命全権公使に任じアフガニスタン国駐箚被仰付昭和15年(1940年)退官す[3]。昭和19年(1944年)台湾総督府外事部長[4]。
満州国参事官。→終戦時、当時の中国中央政府首席蔣介石総統と特命全権日本代表として敗戦処理について交渉。
人物像
編集政治学者吉野作造と交流があった[2]。戦後、吉野と親しい友人や弟子たちが組織した「吉野博士記念会」に和郎は名を連ねている[2]。
家族・親族
編集守屋家
編集- 男・経郎[3]
栄典
編集- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[5]
著書
編集脚注
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