守屋 克彦(もりや かつひこ、1934年9月26日[1] - 2018年11月1日[2])は、日本の元裁判官弁護士法学者。専攻は、刑事訴訟法少年法[3]東北学院大学教授。元仙台高等裁判所秋田支部長。東北大学鴨良弼に師事。菊田クリミノロジー賞受賞[4]

略歴

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主な担当裁判

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  • 岩手県種市町妻子5人殺害事件(1989年8月9日発生) - 第一審・盛岡地裁刑事部にて裁判長を担当[5]検察官から死刑求刑された被告人の男に対し、1990年(平成2年)11月16日に「妻子5人を道連れに自殺を図った無理心中事件であり、動機には情状酌量の余地がある」として無期懲役判決を言い渡した[6]。その後、仙台高裁刑事第2部(渡邊達夫裁判長)は「無理心中ではなく、動機に酌量の余地はない」として原判決(守屋が担当した第一審判決)を破棄自判[7]、被告人に死刑判決を言い渡した[8]

著作

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脚注

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  1. ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.199
  2. ^ 「訃報 守屋克彦さん 84歳=元仙台高裁秋田支部長、弁護士 /宮城」毎日新聞2018年11月4日地方版
  3. ^ 「日本国憲法を支える裁判官になりたい」法学館憲法研究所
  4. ^ 「守屋 克彦」researchmap
  5. ^ 朝日新聞』1989年11月2日東京朝刊第12版岩手版第一地方面27頁「妻子五人殺し初公判 K、罪状認める 犯行前に日本酒七合」(朝日新聞東京本社・盛岡支局)
  6. ^ 岩手日報』1990年11月16日夕刊1頁「種市の妻子5人殺害 K被告に無期判決 盛岡地裁 妻の「自殺考えた上での無理心中」」(岩手日報社)
  7. ^ 『朝日新聞』1992年6月5日東京朝刊第12版岩手版第一地方面27頁「種市の妻子5人殺人 『凶悪犯罪』と断罪 仙台高裁 一審破棄し死刑判決 『無理心中認めず』 被告側、上告の方針」(朝日新聞東京本社・盛岡支局)
  8. ^ 『岩手日報』1992年6月5日朝刊第4版1頁「種市の妻子5人殺し K被告に死刑判決 仙台高裁 無期懲役を破棄」(岩手日報社)