宇遠内駅
かつて日本の北海道稚内市にあった北海道旅客鉄道の駅(廃駅)
宇遠内駅(うえんないえき)は、北海道(宗谷支庁)稚内市潮見4丁目にかつて存在した、北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線の駅(廃駅)である。天北線の廃線に伴い、1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。
宇遠内駅 | |
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ホーム全景 (1988年) | |
うえんない Uennai | |
◄声問 (5.0* km) (2.1* km) 南稚内► | |
所在地 | 北海道稚内市潮見4丁目 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | 天北線 |
キロ程 | 146.8* km(音威子府起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 |
1955年(昭和30年)12月2日(仮乗降場) 1987年(昭和62年)4月1日(駅昇格)[1] |
廃止年月日 | 1989年(平成元年)5月1日[1] |
備考 |
天北線廃線に伴い廃駅 *キロ程は実キロ(営業キロは最後まで設定されなかった) |
歴史
編集1955年(昭和30年)に行われた当地付近(富岡地区)への稚内商業高校(→稚内商工高校を経て現在は稚内高校へ統合、現在は稚内大谷高校校舎)の移転、付近への住宅・商店の進出に伴い設置された[2]。
- 1955年(昭和30年)12月2日:日本国有鉄道(国鉄)北見線の宇遠内仮乗降場(局設定)として開業[1]。
- 当初は駅付近で交差する国道40号踏切の声問駅寄りに設置された。
- 1961年(昭和36年)4月1日:路線名を天北線に改称、それに伴い同線の仮乗降場となる。
- 1964年(昭和39年):同年の国道40号跨線橋完成に伴い、跨線橋の南稚内駅寄りに移転[2]。
- なお、前年に稚内高校も当駅付近(栄地区)へ移転している[2]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となると共に駅に昇格、宇遠内駅となる[1]。
- 1989年(平成元年)5月1日:天北線の全線廃止に伴い、廃駅となる[1]。
駅名の由来
編集現在のウエンナイ川のアイヌ語名、「ウェンナイ(悪い・川)」より[3]。道内諸地の同様の地名と同様、何が悪いのかは忘れられているが、アイヌ語研究者の永田方正は「赤水にして魚上らず」と、水が悪かったらしいことを記している[3]。
駅構造
編集廃止時点で、1面1線の単式ホームと線路を有する地上駅であった。ホームは、線路の北側(南稚内方面に向かって右手側)に存在した[4]。南稚内方(西側)にスロープを有し[4]、道路に連絡していた。
駅周辺
編集- 国道40号(稚内国道)[5]
- 国道238号(宗谷国道)[5]
- 宗谷総合振興局(旧宗谷支庁)
- 北海道稚内高等学校
- 稚内大谷高等学校(旧北海道稚内商工高等学校校舎)
- 稚内市立稚内東中学校
- 稚内市立稚内東小学校
- ウエンナイ川
- 宗谷バス本社・稚内営業所、潮見待合所・「潮見5丁目」停留所
駅跡
編集当駅付近の廃線跡は稚内市道の「天北通」に転用され、2001年(平成13年)時点では跡形も無く[6]、2010年(平成22年)時点でも同様であった[7]。
隣の駅
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d e 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、907頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ a b c 稚内市史編纂室 編『稚内市史』 1巻、稚内市、1968年、1004頁。doi:10.11501/3448729 。2022年8月11日閲覧。
- ^ a b 山田秀三『北海道の地名』(2版)草風館、浦安市〈アイヌ語地名の研究 山田秀三著作集 別巻〉、2018年11月30日。ISBN 978-4-88323-114-0。
- ^ a b 書籍『追憶の鉄路 北海道廃止ローカル線写真集』(著:工藤裕之、北海道新聞社、2011年12月発行)30ページより。
- ^ a b 書籍『北海道道路地図 改訂版』(地勢堂、1980年3月発行)17ページより。
- ^ 書籍『鉄道廃線跡を歩くVIII』(JTBパブリッシング、2001年8月発行)42ページより。
- ^ 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』(JTBパブリッシング、2010年4月発行)19ページより。