宇治朝子
宇治 朝子(うじ あさこ、本名・不明、1901年(明治34年)8月3日[1] - 1918年(大正7年)11月5日[2])は、元宝塚少女歌劇団娘役の人物。大阪府出身[1]。
朝朗け 宇治の川霧 絕絕に 顯れ渡る 瀨瀨の網代木(あさぼらけ うぢのかはぎり たえだえに あらはれわたる せぜのあじろぎ)
より、宝塚歌劇団創設者の小林一三によって命名された。
略歴
編集1915年、3期生として、宝塚少女歌劇団(現在の宝塚歌劇団)に入団。娘役として、『三人獵師』の子狐役で評判になった。
1918年、当時大流行したスペインかぜに罹患して、現役生徒のまま同年11月5日に死去。満17歳没。宝塚歌劇団の生徒において、同年8月に死去した由良道子に次いで2番目の物故者である。
宝塚歌劇団時代の主な舞台
編集出典
編集- ^ a b 藤波 1919, p. 96.
- ^ 100年史(人物) 2014, p. 76.
参考文献
編集- 監修・著作権者:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡りつづけて(人物編)』阪急コミュニケーションズ、2014年4月1日。ISBN 978-4-484-14601-0。
- 藤波楽斎(藤波岩太郎)『歌劇と歌劇俳優』文星社、1919年7月1日。doi:10.11501/906129。