宇山熊太郎
宇山 熊太郎(うやま くまたろう、1873年(明治6年)11月3日[1] - 1948年(昭和23年)[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
宇山 熊太郎 | |
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生誕 |
1873年11月3日 日本 島根県 |
死没 | 1948年 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1896年 - 1928年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
経歴・人物
編集島根県出身[1][3]。のちの能義郡広瀬町(現安来市)で生まれる[2]。1896年(明治29年)11月に陸軍士官学校(第8期)を卒業し、1897年(明治30年)6月、砲兵少尉に任官[1][3]。
1903年(明治36年)、砲兵大尉に進み野戦砲兵第2連隊中隊長となり日露戦争に従軍した[2]。 1920年(大正9年)4月に野砲兵第1連隊長、同年9月に陸軍砲兵大佐を経て、1924年(大正13年)12月に陸軍少将・澎湖島要塞司令官に任官[1][3]。
その後、1926年(大正15年)3月に野戦重砲兵第1旅団長を経て、1928年(昭和3年)3月8日に待命、同月29日に予備役に編入した[1][3]。そして国民防空協会理事を務めた[2]。
著作
編集- 『上等兵になるまで』日本国防普及会、1929年。
- 『空中襲撃に対する国民の準備』水明書院、1932年。
- 『国防論』大日本図書、1936年。
- 訳書
- オーブラー著『野戦砲兵野外勤務演習』川流堂、1902年。
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 『島根県歴史人物事典』山陰中央新報社、1997年。