宇喜多秀正
宇喜多 秀正(うきた ひでまさ)は、江戸時代前期の人物。宇喜多秀高の嫡男。母は八丈島奉行奥山忠久(縫殿助)の娘。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 慶安元年(1648年) |
死没 | 天和2年6月27日(1682年7月31日) |
別名 | 通称:太郎助 |
戒名 | 秀照院殿貞円大居士 |
氏族 | 宇喜多氏 |
父母 | 父:宇喜多秀高、母:奥山忠久の娘 |
兄弟 | クス(奥山次善の室)、秀正 |
妻 | 正室:マス(奥山忠次の娘) |
子 | 秀親(太郎、孫九郎)、 正忠(次郎、忠平)、女子 |
生涯
編集慶安1年(1648年)、八丈島に配流となった備前岡山の大名・宇喜多氏の嫡家(宇喜多孫九郎家)の嫡男として生まれる。
秀正の生年に父秀高は没し、家督を相続する。
参考文献
編集- 岡山市 編「国立国会図書館デジタルコレクション 宇喜多秀家史料」『岡山市史. 第2』岡山市、1922年 。
- 近藤富蔵『八丈実記 第1巻-第7巻』緑地社、1964-1976。